トランスヒューマニズムの思想
トランスヒューマニズム(Transhumanism)とは、科学技術を使って人間の認知能力、運動能力を向上させようという考え方です。
良い例として挙げられるのが「攻殻機動隊」の世界でしょう。
その世界では「電脳化」という脳にマイクロマシンを投入し、神経細胞と結合させる事で外部ネットワークと直接接続出来る状態になっています。
さらに「義体化」という脳神経以外の身体を機械に置き換える事が常識になっている世界でもあります。
トランスヒューマニズムはそういった方向に人間は進化していくべきだ、という考え方を多分に含んでいます。
ここで考えてみたいのは「人間の身体の境界線って一体どこにあるのだろう」という問いです。
自然から発生した生命体と、自動制御された技術を融合させた物体をサイボーグと呼んでいます。
ウェアラブル端末を身に着けた状態はサイボーグと言えるでしょうか。個人的には否だと考えます。
では、身体の障害を克服するために使用する機械を身体に取り込んだ状態はサイボーグと言えるでしょうか。
メガネや補聴器は?否。
義足や義手は?たぶん否。
人工弁や人工心肺は?分かりません。
では脳にコンピュータを埋め込んだ人は?サイボーグ?
こうした疑問は将来必ず問われるであろう問題でもあります。
文化的に、倫理的に日本社会は身体の境界線が曖昧な人達にどういった反応を返すべきなのか。
現在の社会においてでさえ、身体的障害を持つ人々に対して健常者の人々は持て余す反応をしてしまう事が多いのです。
境界線のギャップがさらに大きくなれば、恐怖、怒り、憎しみといった感情に変わってしまってもおかしくありません。
個人的には今、考えておくべき問いだと思っています。そしてそれは個人で答えを出す類のものでは無く、社会の中で議論を行い答えを出さなければならないものだと思っています。
実はこの問いについて興味深い考えを持っている方が居られます。
スタジオジブリの宮崎駿さんです。
「風の谷のナウシカ」の原作版で「自然への敬意」「自然との調和」「人間の欲=科学の力での実現」などを描かれています。
ナウシカの原作版では、科学の力で不老不死を目指そうとするドルクという国の皇帝や生物兵器が登場します。
映画版では科学の恐怖面が巨神兵という存在だけになってしまっているので、ぜひ原作版の購読をおすすめします。
人間の欲望を科学の力で実現させようとすると、どこかで必ず無理が出る。
それを中和させようと自然が飲み込む。
するとそのツケは世界に住む人間たちに返ってくる。
そういった話は現実でも現在進行系で私達の眼の前に存在しています。
科学の力への傾倒。欲望の実現への傾倒。この様な考え方に警鐘を鳴らす。これが宮崎駿さんの根底にある考えなのだと個人的には思っています。
そもそも、身体的進化には正解がありません。
身体を大きく大きく進化をさせたら偶然絶滅してしまった動物や、力の強いものに寄り添う選択をしたら結果的に生き残った種も存在します。
トランスヒューマニズムは自然や環境と共生可能なのか。
進化を淘汰させてきたのはいつも自然や環境です。
自然や環境に対する背景が描けていないと、トランスヒューマニズムという思想も中身のない物になるのではないか。
これが今現在の私個人のトランスヒューマニズムという思想に対する捉え方です。
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