不要不急
人間って、人間らしさって、ほぼ不要不急のものばかりで成り立っているんじゃないかな。
昨日 百貨店に行ったら、長いこと閉鎖されていたキッズスペースが解禁になっていた。お買い物途中の若いお母さんがベビーカーを停めて、小さな子どもを遊ばせている。
なにげない日常の風景だった。
ちょうど2年前の初夏の頃…。
映画館も劇場もお楽しみは全部だめ、スポーツジムも美術館も閉鎖され飲食店も縮小し、子どもの学校や習い事ももちろんお休み。食料品や日用品の店とドラッグストアにしか行けなかった日々を何か月も経験して、初めて気づかされた。
人は不要不急のものに囲まれているからこそ、人間らしく生活できていたのだと。
不要不急のものほど、美しかったり人を和ませたり癒やしたりするのだと。
一見無駄に見えるものとか、ちょっとした「間」とか、これまでは最優先されなかったものの人によっては必要不可欠な…場合によってはお金も労力も惜しまないというような、そういうもので人間は出来あがっている。
私の仕事は、まさに不要不急の極みみたいな品物を作ることだ。正直言ってここ数年間はとても厳しい。
今も、たぶんこの先も…。
でも、数や納期の短さで勝負していたような下請けの工房は、もっと厳しいのだろうなと思う。御徒町というジュエリー業者が集まる街では、もう何軒も倒産や廃業、夜逃げなんていう話まで聞こえてくる。
けれども今、経済を回すことはもちろん大切だけれど、もっと違うものに価値が出てきたような気もする。
経済的でないものや、効率的でないものに。
たとえば、ひとつの指輪にしても…
私の仕事の多くは受注制作なので、お客さんがほしいタイミングですぐ手に入らない。その時点でお客さんにとって非効率的で、私にとって非経済的だ。
でも。
海外のどこで採れた石なのかがわかること。その原石から、たとえば山梨県甲府市の顔がわかる職人さんが研磨していること。自分で作った指輪の原型やデザイン画から、顔がわかる職人さんが加工してくれること。
これらの過程を、お客さんが「面白い、楽しい」と感じてくれること。
こういったところに、別の価値がある。
数を買うよりひとつの品物に深くこだわることや、ひとりひとりが決めた価値のほうが、これまで以上に大切にされていくのだろうな、と思う。
そうだといいな、と思う。
たくさんのお金を回すことはできない。時折、自信をなくすこともある。
本当に必要とされているの?
世の中の役に立っているの?
…と。
約2年もかかって、ようやく日常が戻りつつある。
それでも皆、あの自粛生活を忘れてはいない。
私は私にできることを続けるしかないので、世界の片隅で、ものを作って生きていく。
ダイオプテーズ(翠銅鉱)の原石リング。
装着できるけれど実用ではないジュエリーは、不要不急の極みかもしれない。でも楽しい。
※この記事は過去に ShortNoteにて公開したものに加筆修正したものです。