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水玉は永遠に

「ちょっと前は、みんな携帯ストラップに凝ってたよねぇ」

ちょっとといっても、もう20年近くも前になるかな。
シルバーを使って上質な携帯ストラップをたくさん作ったことがある。すでに懐かしい、二つ折りのガラケーが主流だった頃だ。
シルバー小物では他にも、ベビースプーンやカードケースを作っていた。

「それなら、スマホケースは作れる?」
うーん、作ろうと思えば…。
量産なんてできないけれど。

「変身ベルトみたいなギラッギラのバックルも」
それは…作り手としても燃える!!!


とある遺跡から、スマホケース??


そんな会話をしていて思い出したのが、この遺跡発掘の記事だった。
モンゴル高原で活躍した 匈奴(きょうど)という遊牧民の墓から、女性の遺骸とともに、現代のスマートフォンそっくりの物体が発見されたという。


サイズ比較のためにスマホを置いたのかな?
と思ったら、これそのものが謎の物体だった


リンク先に動画もあるが、なるほど、この縦横の比率だとたしかにブラックボディのiPhoneに見えなくもない。
ラインストーンでさりげなくデコレーションされたスマホケースのようにも…。


その正体はおそらく、ベルトのバックル。
黒玉(樹木の化石、ジェットという素材)製の板に、カーネリアンやターコイズ、マザーオブパール(白蝶貝)などをはめこみ装飾されているらしい。

身につけた状態で発見されたのだろう。指輪や耳飾りよりも断然大きいし、バックルは全身のちょうど真ん中となる腰位置を飾る装身具だし、かなりの存在感である。

それに、かつては黒玉は磨かれて艶のある濃い黒色をしていただろうし、抜け落ちた穴にもすべて石がはめこまれ、もっと際立って見えたかもしれない。


記事によると、紀元前3世紀頃のものだそうだ。
かなり古い時代のものなのに、等間隔に並べた小さな宝石のドット柄…水玉模様に親近感が湧く。
モダンというか、とても今風にも見える。

いや、逆だ。

古い時代にすでに在ったデザインを、私たちは古いと感じず、知らず知らずのうちに使い回しているのだ。


こういうものを見ていると、デザインって何なんだろうな、と思う。
このバックルを知る以前から、私は古代の装身具に興味があってたくさんの影響を受けてきたので、あらためて思う。


新しいデザインが生まれることなんて実は滅多になくて、はるか昔から人々が作り上げてきたものを繰り返し繰り返し、意図的に楽しむこともあれば、そうとは知らずに反復しているだけではないかな、と。


ドット柄・水玉模様といえば、シンプルデザインの定番である。

ドット柄のように石を留めてはいかがでしょう?…と、私も提案することがある。ドットの大きさ(石の大きさ)や、間隔の広さを変えるだけで、大きく印象が変わる。シンプルながら奥が深い。


水玉の作品といえば、あの人


ドット柄や水玉模様といえば、真っ先に思い浮かぶのがアーティストの草間彌生さん
展覧会へ行ったとき、会場がまるで異次元世界のようで、とても面白かった。
(でも、ざわざわとした気分にもなった。)
彼女の作品には、大小さまざま色とりどりの水玉のモチーフ、そして「愛」「永遠」というメッセージがふんだんに盛り込まれていた。

どこまでもどこまでも、永遠に並ぶドット。
繰り返し繰り返し、泡のように現れては消え、また消えては現れる。
それは大昔から生まれては死に、また生まれ出てくる人間そのもの、人の生命そのものかもしれない。



空想を中断して日常を見渡してみても、いつもどこかで水玉模様を目にしている。
それは小さな娘のワンピースだったり、老いた母の日傘だったり、思った以上に身近すぎて見落としているかもしれない。
レトロな、モダンな、定番的な、斬新な…そんなことを無意識ながら感じている。
ドット柄、水玉模様は時代を超えて世界に溶け込み、今日も私の周りを取り囲んでいる。



※このnoteは過去にShort Noteに投稿した記事に加筆修正したものです。



画像引用元
https://www.japandesign.ne.jp/report/kusama-yayoi-2017/

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