瞑想と呼吸の90日チャレンジ(62日目)~頑張ってる人をみるとちょっとだけ顔をだすマイナス感情
62日目。
今日は15分、呼吸法の後にやったからか、
落ち着いて、平和な瞑想となった。
こんなの久しぶりー。
今朝、SNSを見ていたら思った。
なぜ、私はみんなのようにSNSを楽しめないのか。
得意なこと、好きなことを
楽しんで紹介できないのか。
考えてたらすごく昔までたどり着いたので
逆にそこからスタートしてみよう。
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私は昔からあがり症で
音楽のテストで前に出ることすら怖かった。
国語の本読みも然り。
それは大人になってもそうだ。
カセットから聞こえる自分の声も
写真や動画に移る自分も、
鏡に映る自分も、
全部、自分のイメージ通りになったことがなかった。
つまり自分を受け入れられない、
子供からずっとそんなだった。
だからそんな自分が人前にでること
人目にさらされること、
注目されることがとても怖かった。
極端に言うと、
小学生の音楽のテストなのに
歌姫のように上手に歌えないといけない、
歌おうとしてしまうような感じ。
(プロセスを楽しむことは頭にない)
自分でできていないことを披露しようというのだから
いつも「アガってしまう」のは当然だろう。
そして、イメージ通りできないと恥ずかしくて
穴に閉じこもりたくなる。
昔はそれについて誰も何も言ってくれなかったのだけど。
あ、言ってくれてたけど
私が頑なだったのかもしれない。
今はそんなこともなくなった、
と思っていたが、実はまだ残っている。
100%の知識がないと発表できない。
100%の出来じゃないと人目につくステージに上がれない。
自分の現在の100%状態でいいのに
理想の、完璧な、非の打ちどころない
誰もが文句つけようがない100%でないとだめ!
そんな思いが最後に深く刺さっているようだ。
厄介なのは、そんな私と対照的に、
すんなりとなんなく人前にでることを楽しんで
ためらわない人に出会う時、
どこかでマイナス感情が湧くことだ。
「私だってこんなこと知ってた」
「こんな大したことない知識で、外に出ちゃっていいなんて」
と心のどこかで拗ねてしまっている自分がいると思うと
それまた切ない。
「恥ずかしいこと」「怖い事」
と思っていたことを
すんなりとしている姿に嫉妬するのかもしれない。
以前はこういう感情について
単に私は「踏み出すのが遅い」から、
「誰かにつつかれるのが怖い」から、
しか思いつかなかった。
いや、本当は、最初に書いた
「私だってこんなこと知ってた」
「こんな大したことない知識で、外に出ちゃっていいなんて」
と心のどこかで拗ねてしまっている自分、
を知っていたが、見ないふり、
あまりそこを追求したくなかったのだ。
今はそんな自分がいることを
全面的に受け止められるようになったみたいだ。
じゃあ、どうするか。
これも次の動きに影響してきそうだ。
ともあれ、
こんなことをツラツラと考えるのもあと30日ほど。
今はこれを楽しんでいる。
なんで楽しめるのか。
それは次に書こうと思う。