東京ジェリ子
ヨガを勉強した初期に真面目にトライした瞑想と呼吸、いつの間にか毎日が週に数回、月に数回となり、単に過去の記憶でしかなくなってしまった。さて、なんだか思い立ったのでやってみよう。実践中に感じたことふと思い出したこと(これを降りるというのか)をつらつらと備忘録として記していく記事。さして面白さは狙ってません。
私ってどんな人なんだろう? と思う方がいらっしゃるかもしれない、と思い、ざっくりどんな人生を過ごしてきたのかを書いておきます。 時間のある方は流してお読みください(^^)/ 東京生まれ、父母・兄2人の5人家族末っ子です。 幼少のころは身体があまり強くなかったようで 母も病弱だったため一人遊びが多く 人見知りで内向的だったようです( ´艸`) 中学生あたりから海外に興味を持ち始め 高校時代にはスペイン語の習得に夢中になりました。 単に、好きなアイドルがたまたまスペイン語圏
#2で腰痛は突然なるものではないのよ、 今までの「結果」が「痛み」となるんだよね、と書きました。 そこについてもう少し書いてみようと思います。 人間は心身に疲れやストレスが溜まると それに反応して色んな不調が出て来ます。 すごい仕組みだと思いませんか? 取り返しのつかないことになる前に ちゃんと教えてくれるんです! 現代はその不調を改善する方法がたくさんありますので 辛ければ、痛ければその痛みを取れば済むじゃないか、 と思ってしまいがちですが ただ、ここで忘れてはいけ
こんにちは。ジェリ子です。 今、これを読もうとしている方はきっと 腰痛に悩んでいらっしゃる方、 もしくは腰痛で悩んでいる方が近くにいて その辛さを少しでも和らげてほしいと 思っている方だと思います。 原因不明の腰痛への対処は大概、治すというよりは 一時的に痛みを軽減するものばかりです。 改善していくとしても、 長い期間で通院しながら少しずつ改善していくことになるでしょう。 自分は一生この痛みと付き合わなくてならないのか 一生、この不快な気分で生きていかなくてはならないの
ジェリ子です。 年頭に母が亡くなって、荼毘までに1週間。 何度も冷やされた母に会いに行き どんどんカラカラになっていく母を眺め思ったのは ここには母のボディだけなんだな、ということ。 そして母のボディは84年間も 母が母の人生を歩くために寄り添って来たんだな、 という事実だった。 母の最期の迎え方もあるのかもしれないけれど 使い切った、という感覚がよぎったのだ。 同時になんだか 母の使われきった身体に「尊敬」の念さえ感じたのだ。 その時にこの言葉が腑に落ちた。 魂
こうすると痛い、という動きや腰痛になりやすいあるある項目を 思い出したときに書き留めていくページです。 目次 ・身体編 ・なくて七癖編 ・こころの在り方編 【身体編】 1.ベッドから起き上がるときに痛い 2.ベッドから立ちあがるときにバキバキで痛い 3.トイレの座面に座るときに痛い 4.トイレから立ちあがるのも痛い 5.顔を洗うとき洗面台に屈むと痛い 6.下の戸棚を立ったまま屈んでのぞきこむと痛い 7.もちろん椅子から立ったり座ったりは痛い 8.ずーっと立ち仕事をすると痛
よく、いきなり腰痛になった。 とおっしゃる方がいるのですが 腰痛は突然なるものではないと思っています。 腰痛は「結果」です。 腰痛になる、つまり腰が痛みのサインを出すような 生活スタイルだった、ということです。 それも何年も何年も少しずつ チリが積もるように疲労して 「やばいですよー」というサインが腰痛です。 私が実際に患っていた慢性腰痛は そういうタイプでした。 自力で改善するしかない、 と、経験上、私はそう思っています。 整体、マッサージ、注射、 確かに一時的に
私の仕事場は一般の住宅の事務所使用だ。 3LDKのうち、北側の小さい部屋が私の事務作業の部屋である。 別の部屋で事務所の代表が仕事をしていて広くて快適な環境でもある。 が、1階ということもあり、冬は底冷えしてとても寒い。 エアコンにサーキュレーター、 机の足元にはヒーターのプレート、 腰に巻くラップスカートに、ウール100%のカーディガン、 厚手の靴下にレッグウォーマー、 外にも履いていけそうなスリッパ。 完璧だ、と思うがそれをしても足りなかった。 出勤したての部屋は、
現在の簡単な自己紹介です。 詳しい生い立ちなどはマガジンで! 名前: 東京ジェリ子 職業: フリーの事務職&ヨガ講師 ①自分の「いい感じ」を見つけるためのヨガと呼吸法 ②腰痛をより快適に付き合うための身体との対話 を伝えるべくゆるゆると色んなツールでチャレンジ中 活動: ★自主開催「Megracia Yoga」@高円寺 *身体に効くヨガと心と身体を本来の健全な状態にしたい方へ ★Zoomオンライン
年頭に亡くなった母との出来事や思ったことを 書き留めています。 私と母の関係というか 年齢と共に弱っていく母と 昔の母の年齢を追い越していくうちに 色々と母への想いに変化はあったのですが、 それを大きく変えたのはコロナでした。 もちろん、いいことばかりではありません。 好ましくなかったのは 対面の面会が2年近くできず その間、刺激がないからなのでしょうか、 やはり衰えというか 母の生命力がどんどんなくなっていくのが モニター越しに分かりました。 なぜそう感じたかというと
≪母、旅立ち後≫ 今朝、いつも通りに朝起きて いや、寒すぎてギリギリだけど いつもより寒く感じるのは隣が引っ越して空っぽだからだろうか えいやっと起きてお弁当を作り始める ふと、ふきんに目が行った そう、これはもう6年ぐらい前に母がくれた 大容量のふきんパックの最後の1枚だった。 忘れ去られたように残っていた1枚。 それを使い始めたのは母が息を引取ってから。 ふとそれに目が行くと 続けてよぎるのは 『そういえば、行くたびに何かもらっていたな」 ということ。 母は
ここ数日、高校時代の友と何年ぶりかにLINEをした。 かならず「久しぶり~」「ご無沙汰~」 から始まる3人組だ。 でも連絡さえ取れてしまえば 3人とも高校時代の距離感と変わらないのは 学生時代の仲良しグループあるあるだと思う。 ただ、長い年月、それぞれの人生を それぞれの思いで生き抜いてきたわけで たまに集まって長く会話をしていると 同じような価値観だった高校時代とは変わったな、 なんて思う時もあるだろう。 やはり昔とは違うのだ、と。 今回はまた、今までとは違った、
【こんなときは不安になる自分を発見】 仕事場で水道管の大規模修繕工事があった。 もちろん水が止まった。 お昼前の11時から17時まで。 お昼ご飯の前後にいつもトイレに行くので もう12時ごろにはドキドキ。 駅まで行こうか、と頭をよぎる。 なぜなら、太いパイプが2本つながったままで トイレのドアが閉まらず もしかしたら外から見えてしまうかもしれないから。 昼はドキドキしながらタイミングを見て でもなんだか気持ちよくできない・・・ そう思うと飲み物すら気持ちよく飲めなくな
社会人3年目の姪っこ。 仕事が忙しくてテレワークになったら 毎日、夜の10時過ぎまで仕事をしているようで 食事も合間に口に運んでいるだけのようだ。 1人暮らしで自宅が仕事場になると マイペースになるよりも 仕事とプライベートの時間が曖昧になってしまうらしい。 あ、そうだ、テレワークじゃなくても 若い時、仕事のミスを家まで引きずって 切り替えできなかったことを思いだした・・・ なら、なおさらテレワークって 受け身だと切り替えができなさそうですね。 最近、彼女の片目の視力が
誰もいない部屋 横になり目を閉じて 静かに呼吸している私を感じると 身体の力が溶けていき 五感が目覚める 足をすっぽりと覆い からまるようにまとわりつくタオルケットの感覚 肌にまとわりつく ひんやり、しっとりとした空気 誰もいない 私だけの空間 耳元に聞こえるは 外の雨の雫がどこかに落ちる音 ポトッ、カタッ、 さて、もう少し遠くへ意識をのばしていきましょう サーッと優しい雨の音 濡れた道路を歩く誰かの足音 遠く遠くで出かける誰かのドアの閉まる音 鼻腔を通る呼吸
桑名めぐみです。 愛していると言ってくれ。 懐かしいトヨエツさんと常盤貴子さんの 切ないラブストーリー。 そして挿入歌はあのLOVE LOVE LOVE。 私も大好きでした♡ さて、男女の間だけでなく 大好きな人に同じように大好きになってもらいたい という思いは誰にでもあると思います。 友人、家族、同僚などなど 人間関係があるところには存在するのではないでしょうか。 大好き!と自分が思う人には やはりそっぽを向かれるのは寂しいものです。 この「大好き!」の強い強い想
過去に生きるな 今を生きろ、 終わったことは仕方がない 未来ならいくらでも変えられる、 とはよく言われ、 私も、確かにおっしゃる通りだと思うのですが、 人間、そう都合よく 決まった記憶だけ消すことはできなくて。 簡単に消せる記憶なら とっくに消えてるのだから。 別の記事にも似たようなことを書いていますね。 私にだって 思い出すだけで自分を消したくなるようなことはあり 誰もがそれぞれ何かを抱えているのだと思うのです。 私の中の記憶で一番古いのは幼稚園とき。 これはも