瞑想と呼吸90日チャレンジ(33日目】~記憶の書き換え。寂しい私と可哀そうな母。

夜な夜な、曼荼羅の塗り絵に夢中である。
変な態勢で根を詰めるようで
殿筋が無茶苦茶痛い。
朝も起きるのが辛すぎる・・・

今日はゆっくり時間が取れる日なので
午前中に呼吸3種mixと多分30分以上は瞑想したと思う。
今朝、記憶の書き換えっていうものが出来たんだと思った。

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数日前から「母」というものを考えるようになった。
今まで母は私にとって「母」という立場の「女性」だった。
母から「生まれた」という感覚がわからない。

実際は自分がそう感じていたことも気づかなった。
今は母も高齢だし、病気もあり
いつどうなってもわからないし
コロナのせいで会えないのもあってか、
自分でも驚くほど母の事を想うようになった。


今朝、瞑想していたら
昔の記憶の一部がまた思い起こされた。

1人で母から離れて部屋の隅で
静かに背中を小さくして絵本を読んで過ごしている私。
自分を寂しそうと思うのは侘しいものだ。
これ、変えられないかな?
良い記憶に・・・

そういえば、塗り絵も好きだったなぁ。
大人になってもやってみたいと思いながらなかなかできずに、
やっと先日初めて見た曼荼羅塗り絵だけど
曼荼羅塗り絵の配色、濃淡のセンスも私には真剣な時間だ。
これはまさにマインドフルネス。

塗り絵はやっぱり楽しい!
じゃあ、あの寂しい記憶は本当だろうか?
こう考えたらどうだろう?

それは私の大好きな時間だった、と。

そういえば、母は
あやとり、単行本の漢字の読み方、
編み物、ビーズ、マスコット作り、塗り絵、
いつも丁寧で綺麗なやり方を教えてくれたものだ。

あら?
もしかしてそれって、
今でも私の好きな事だよ?
静かに一人で没頭できる時間。

好きなものを読む、
色合いを考える、
何かを作る。
考える、悩む、達成する、充実をする。

一心不乱にマインドフルで何かをする時間。

昔、子供のころに母が教えてくれたことは
家事や炊事も含めて
私の中にたくさん、たくさん残っていることに気付いた。

母から教わったもので今の私って出来上がってる?
私、母と一緒に生きてるんだ
私の中にはいつでも母がいるんだ

そう思ったら、
可哀そうな女性でしかなかった母が
とても愛おしく
有り難く、何とも言えない温かな気持ちになった。

「母」とはこういう感覚のものなのか、
「おかあさん」ってそういうものだったんだ。

母を可哀そうと思うことは
DNAという生物学上はもちろん
私の中の母=今の私、に
可哀そうなところがある、と思う事なのかもしれない。

記憶の書き換えってどうやるのかと思っていたが
とりあえず、大きなひとつはできたような気がする。

なんだか大きなことを成し遂げた気分だ。

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