送り火に寄せて
実家から果物をもらった。
亡き母のお盆で、お仏壇にお供えしてあったもの。
父が持ってっていいよ、と言うので、軽くお鈴を鳴らして、母さんもらっていくからねーと告げた。
母があの世にいってから、今年で十五年になる。
私も父も慣れたもので、母をだしにした軽口など叩く。
送り火を焚くから見ていけというので、火の始末気をつけてよと小言を言いつつ、身をよじって燃えていく麻がらを見つめた。
帰り道、自転車を漕ぎながら、果物が大好きだった母を思い返す。
子どもたちにあげるんだよ、と言うかな。
それとも、あんたもちゃんと食べなさいよと言われるかしら。
朝の果物は金!と口癖のように言っていた。朝に果物を食べると身体にいいらしい。
それに限らず、健康に気をつけていて、周りにもやかましかった。
なのに何でかな、一番先に逝っちゃったね。
病院で、最期に口にしたのはりんごだった。地元山形の、美味しいりんご。
母の実家からは、毎年さくらんぼとりんごが届く。
亡くなっても、一番美味しいのをどっさりと。
自分が親になり、果物を家族分用意するとかなりの出費になることに驚いた。
でもなんだか母に言われている気がして、半ば意地で、果物を食卓に出している。
もちろん美味しいのもあるけど。
母の死と長女の誕生が同じ年だった。
初孫を楽しみにしていたけれど、叶うことなく予定日の2ヶ月前に逝ってしまった。
手探りで育児、両立に悩みながら仕事もして、また下の子(双子)も生まれて…
目まぐるしい日々をなんとかやり過ごしつつ、同じように子育てと仕事をやっていた母に、聞きたかったことがたくさんあった。
元気だったら、色々口を出され喧嘩もしていたはずなんだけど、それでも。
ねぇ母さん、なんでいないのさ、今話したいんだけど!
と、心のなかで理不尽極まりない文句を言う。
何いってんのよ、仕方ないでしょ馬鹿だねえ。
そう返す母の声がする。
それよりあんた、ちゃんとしなさいよ。子どもは見てるからだらしなくするんじゃないよ、あと受験生いるんだからしっかりしないとね、それから…
一つ話すと倍の言葉がぽんぽん返ってくるひとだった。
母がいない間に、こんな感じで返事するだろうなというのが、いつの間にか蓄積されていたみたいだ。
私の中に、母の疑似人格ができている気さえする。
だから普段はどうということもないのだけど。
時間も経ったし。
今日は、送り火の煙が目に滲みたみたい。
不在がやたらと胸に迫って、年甲斐もなく泣きながらペダルを漕いだ。
今だけだ。
帰ったら、いつもの私、ガサツで陽気で子どもたちを構いたがる母親の顔に戻るから、今、このときだけ、涙を自分にゆるそう。
「ちゃんと食べるんだよ」
母の声がした、気がした。