白玉だんごをいっぱい作った。 お月見は明日なんだけど、多分仕事で遅くなるから、今日やってしまおうということで… でも曇っているなあ。 お月さま、ちょっとだけ顔見せてくれないかしら。 みたらしとあんこのおだんごを用意して、子どもたちとお待ちしていますので。
ツルボの花。 道端に茎だけ伸びてきて、ちいさな花をつけた。穂の先まで花に覆われると、とても可愛らしい。 母の命日なので、父とうちの家族でお墓参りに行ってきた。 暑かったー。
無音の雷光、帰り道の夜空を走っていく。 のっぺりと広がる雲が、その一瞬、鮮烈な色と陰影を見せる。 顕れる、顕現、という言葉が頭をよぎる。何か、とても神聖なものをみているようだ。
涼しい夕暮れ、秋に近づいてきたなあ。 秋の虫の音も出てきたんだけど、今年はヒグラシの声がない気がする。 いつも晩夏になると聴こえて、ああ、夏が終わるなあと思うのに。 今年は発生が少ないとか、気候の変化でいなくなったとかなのかしら。
おぼえてる ほんとはずっと かわらずに 雨上がりのち 虹の約束
上の娘を、模試の会場に送り届けた。 さて、終わるまでどうしようか。 とりあえず、知らない街を歩いてみる。 日曜の朝、住宅街はしんと静まり返り、まだ眠っているみたい。 あさがお、つゆくさ、早朝の花たちが曇り空の下でも鮮やかだ。
百日紅の花。 花のつくりが独特で、見れば見るほど人工物っぽい。 ぽとりと落ちているのを拾ってみた。 フリルめいた花びらを、中心のまるっこい芯に細い糸で繋げているみたい。 サルスベリの名の通り、幹の樹皮はスベスベだし、本当に面白い。 なぜそれを選んだの?と聞いてみたくなる。
今日も良く働いた。 朝、出勤するときは、今日こそほどほどにして帰ろう、身を粉にして尽くす甲斐はないと分かっているんだから、と思っているのに… 結局やれる限界まで働いてしまう。 頑張っているつもりで、要領悪くて時間がかかっているだけという可能性もある。
嵐が来る。 不穏な予感をはらむ美しさ、というのはやはりある ものだ。 波乱があるから、光と影がきわだつ。
実家から果物をもらった。 亡き母のお盆で、お仏壇にお供えしてあったもの。 父が持ってっていいよ、と言うので、軽くお鈴を鳴らして、母さんもらっていくからねーと告げた。 母があの世にいってから、今年で十五年になる。 私も父も慣れたもので、母をだしにした軽口など叩く。 送り火を焚くから見ていけというので、火の始末気をつけてよと小言を言いつつ、身をよじって燃えていく麻がらを見つめた。 帰り道、自転車を漕ぎながら、果物が大好きだった母を思い返す。 子どもたちにあげるんだよ、と言うか
今度、家族でディズニーに行くことにした。 上の子が小さい時以来だから、十年以上ぶりか… 色々システムが変わったらしく、ガイドブックとにらめっこしたり、子どもたちと行きたいアトラクションを書き出したりしている。 チケットの金額に震えるけど、計画を立てるこんな時間も楽しいよね。
義母から子どもたちに、暑中お見舞が届いた。 可愛らしい組み立て式のカードで、飾っておけるもの。 すてき!と私の方が夢中で写真を撮っていた。 朝顔、すいか、すだれ、扇風機、金魚鉢と涼む犬猫。 懐かしい日本の夏が全部あるなあ。
今朝はいわし雲、空が高くて心なしか涼しい気がした。 昼の日差しはきつくて暑かったけれど、帰りはまた吹き抜ける風が涼を運んでくれた。 真夏だけれど、秋を先取りしたようないちにち。
こんなに美しくおそろしく興味深いものが、いつも頭上にあるのに、なんでみんな空を見ないのだろう? 夕焼けの残照が彩る一層下に、不穏な雨雲がすごい勢いで流れていき、時々雨を降らせる。 でも知ってる、私みたいにぽけっと空を見上げてる奴は弱肉強食の世界だとまっさきに淘汰されるんだ。
眼が、カメラだったらなあと思う時がある。 撮っておきたいものを見つけても、すぐうつせないことが多いから。 自転車に乗っている時だったり、一瞬で移り変わってしまったり。 それに、撮影するとどうしても見た時の色合いと違ってしまうし。 この空も、もっと燃えるようだったのにな。
雷鳴を聞きながら虹を見つけた。 世界は美しい混沌に満ちている。