落選作より48首+思い出
お世話になっております。丸田洋渡です。過去に短歌の新人賞に応募して、落選した作品のうち、まだ公開していなかったものの中から、それぞれ数首ずつ抄出しております。
連作の流れが分からないままになるので読みづらいかもしれませんが、一首単体でも面白がれるようなもののみ引いております(全て載せられたらいいんですが、今改めて見ると表現の甘い部分が多くて全て公開するにはやや難がありました)。
本記事後半部にて、それぞれの連作に対して振り返りと反省と思い出を書いております。興味のある方は読んでいただけたらと思います。
時と眩暈 (2022年9月、第5回笹井宏之賞応募、10/50首)
時間とは過信に支えられている 地面に付きそうな枝垂れ桜
花火後に浴びるシャワーのそれはもう花火を浴びているようでした
これを見に来たのにそれをまるっきり忘れて立ち眩む大断層
胚みたいなボールプールで遊ぶなら一旦胚のことは忘れる
青い光が白に変わってだんだんと赤くなる フランス料理店
Ebb and flow 人生のこの一瞬で弾けた口腔内崩壊錠
夜なのに外は明るくなっていて夜だからあなたと起きていた
Sparkle 都市構想は構想の段階がいちばん気持ちいい
(劣化したプール)の記憶 劣化した(プールの記憶) 光のせいで
体感はぴったり二十分だった一周二十分の観覧車
パレード (2021年5月、第64回短歌研究新人賞応募、5/30首)
どこか人似の蜂が書きあげる神話のその美しいブラインドタッチ
擦り傷をじっと見つめて じっと見つめて 人であること変形しそう
湿原をかつて二人で歩いたことすべて貘が食いちぎっていった
幽霊が人の形でいることを納得できた たんぽぽの絮
闇に共感したい気持ちに共感を 粘着質な光の車道
彼以後 (2020年9月、第4回笹井宏之賞応募、5/50首)
あなたは、あなたに似た人に似ている 二人は雲のように曖昧
階段が蚯蚓みたいに這っている四階の折り返しで別れ
いちはやく戦争をかぎつけていた/歩く人に/人の歩き方に
ひとが死ぬ 大雨が降る それでもなお向かい合わせのA棟C棟
こころを外しこころを入れる 大声で喋りだすひらがな練習機
脳の糸電話 (2020年9月、第32回歌壇賞応募、5/30首)
奥と裏がひとしい瞬間ってあるね あなたの過去の過失の話
誰一人殺すことなく死ぬだろう銀の振り子時計のひとふり
運もある そう言って励ましてくれた その手あたたかかった 偶然
葉が木から離れれば木は楽になる そうかな 花の近くの職場
これが雨のひとつぶめだった気がして うれしくもありかなしくもあった
光の発声 (2020年5月、第66回角川短歌賞応募、7/50)
ぎんいろの魚群が空を翔けるのを見つづけている 驚きとともに
原型を留めていない青空のこんなきれいな腐敗をみせて
貯水槽の前で写真を撮りながら脳裏に沸きあがる大きな死
心臓が窃盗されて月のように私ぜんたい心臓だった
万華鏡をゆっくりゆっくり回しつつ異常な瞬間で手を止める
私にとって生はもう死に等しくて永遠に噴水の噴出
冷奴状のたましいに醤油を テーブルに家族が集まって
フラッシュ (2020年5月、第63回短歌研究応募、5/30)
視聴覚室のとなりで開いている相談室の涼しい扉
知恵の輪もいいなと思う あんなにも複雑で唐突に簡単で
教訓で教訓が矛盾している どう歩いても家に着かない
小学校校舎のような純白の直方体が浮かびあがった
最高の日であるという感触が明日も連続していれば flash
他のどこにもいない動物 (2019年9月、第3回笹井宏之賞応募、5/50首)
将棋でいう桂馬のように自分には恒に二つの可能性がある
屋上に人が三人立っているその後を想像する 少し
倉庫には色んなものが置いてある少しずつずれ少しずつずれ
人並みに言葉を喋れないことが猫には少し嬉しく思えた
木と追想 (2019年5月、第65回角川短歌賞応募、3/50)
天国はあるのかなあと言う声がすごく遠くに感じられます
火のなかにある水滴のような火が日記を一度濡らして燃やす
光りつつ翳る大木自らのいのちが恍惚と暈けていく
海辺の家族 (2019年5月、第62回短歌研究新人賞応募、3/30首)
お前も海のようになれよという意味の名前の子どもばかり生まれる
さざなみが足に届いて感情は心を超えることが出来ない
四人ともへたな笑顔の家族写真春の終わりに鷹ゆく高度
以上になります。それ以外に応募したものはnote記事や他のサイトで公開しているので調べたら出てきます。
改めて整理しておくと、ちゃんと受賞できたのが第3回全国俳誌協会新人賞・準賞(俳句、「眼と蝶」)だけで、他最終選考まで行ったことはなく、一次選考を通過できたのは2019角川短歌(「木と追想」)、2020角川俳句(「銀の音楽」)のみ、あとの歌壇・研究・笹井は(俳句の波郷・鬼貫・不器男・円錐も含め)かすってもいません。
それでも何とかやっていけている(自分の表現を追求できていて、それを読んでくれる方もいる)ので、もし賞の応募の結果に一喜一憂しながらこの記事にたどり着いた方がいれば、あまり落ち込まず、賞に全体重をかけないようにして頑張ってください。
ということで、各連作についての振り返りを少しします。気づいたことを太文字にしています。私が改めて気づいたということ以上に特に意味はありません。
〇「時と眩暈」
まだ一年前なので歌のことも作った時の気持ちも覚えています。
これより一個前の第四回笹井応募作「Slow Speed」が、自分の中ではかなり手応えがあって、これで最終選考まで行かなければこの賞に自分は向いていないと思っていたら箸にも棒にもで、どうしよう……と思いながら作ったのが「時と眩暈」でした。
まだ第四回と同じく時間というモチーフに諦めがついていなさそうな題で、実際内容も時間で固めていました。可読性もあげたつもりでしたが、これもまた何も結果は出ず。これで潔く諦められる、と思ったところで、受賞者が瀬口さんと左沢さんになり(自分が好きな、かつ系統もそこまで離れていない同世代の歌人)びっくり、という印象深い回でした。
時間モチーフ+なんとなく眩暈感、のゆるいイメージで続けていたので、ぱっとしないものになっていました。〈花火後に浴びるシャワーのそれはもう花火を浴びているようでした〉など、引いている歌全てそうですが、少し前の時間の認識が保存されたまま次の行動に移った時の認識の重なりが一つのテーマになっていて、当時気付いてもっと自覚的に作れていたらもっと良かったかも、と思います。花火の後のシャワーと、ホラー映画を見た後のシャワーと、起きてすぐ朝のシャワーとでは、同じシャワーでもあり方が違う……という。まだ探りがいのある視点かなと思います。
〇「パレード」
30首ということもあり、下手に展開せずに同じモチーフで並べて一回出してみようと思って、動物をメインにして、地球上は毎日生物がパレードしているようなものだ……と最後に言って締まる連作でした。
書いているうちになんだか、人間という生物が傲慢に思えてきて、かなり人というものを悪者として書いた(蝙蝠とか鯨に、人の事が好きじゃないみたいなことを喋らせたりした)ので、読み味がかなり良くないものになったなあと思います。なんとなく短歌研究には、皮肉っぽい現代の生活、って感じでいけば通りやすいみたいな偏見があったので、いけるかと思っていましたが完全に力不足。下手に他者に仮託して(仮託というか、パペット人形みたいな)悪いことを言ってもらうのは良くないな、とこの数カ月後、私は気づいたような気がします。ふつうに自分で指摘したほうが誠実だ、というような。
〇「彼以後」
これは、連作自体で何か面白いことをしてみたいと思っていた時期で、(第三滑走路10号「誰」の製作と同時期)未熟ながら物語っぽくしてみていた、という感じ。彼以後、というタイトルでなんとなく興味を引いて、彼が現れる以前と以後で何が変わったのか、という内容だったものの、あまりにぼんやりヒントの歌が多すぎて、冗長になっていました。一首単体での強度も弱く今見るとほとんど落とす歌ばかりになっていました。
こういうやり口は、あと数年、自分に相応の実力がついてから再チャレンジしたいなと思います。〈あなたは、あなたに似た人に似ている 二人は雲のように曖昧〉とかは、せっかく上の句がいいのに、ストーリーテーリングに夢中になって文字通り曖昧な歌になっています。昔応募した作品を全部、今の自分版に推敲出来たらなーと思います。で、今の自分から見ても推敲せずに自分が作ったことにしていいと思えるようなものが、良いものなんだろうなとなんとなく思います。
〇脳の糸電話
これは、糸電話を調べていた時に、これを脳と脳で直通でやれたら一番いいなと思いついてから作り始めたもので、結構好きな歌も多い連作でした。大学のとき応募した自作の中では2か3番目くらいに好きな連作です。
タイトルの引きも良かった気がするものの、再読するとタイトルをそこまで回収できていない(強すぎた)のが目につきました。タイトルのバランス感覚も必要。〈運もある そう言って励ましてくれた その手あたたかかった 偶然〉は、自作の中でもかなり鋭い部類だと自分で思っていて、この「偶然」が書けてよかったと当時一か月くらいずっと思っていました。
〇光の発声
自分の作風が、角川短歌賞からどんどん遠ざかっていることを自覚しながら、あえてベタベタに耽美で挑戦してやろうと思って書いた50首。タイトルも、(もう自分の中で「光の~」とかは面白くないので封印しようと思っていたのを付けていて)ぴかぴかしていて今見ると笑えます。
でも、他の古い連作に比べて今見ても良いと思えるのが多くて、美とか幻想は賞味期限が長いんだなと思わされました。
作っていた当時、推敲して消してを繰り返しているうちに前日くらいに49首になってしまって、大学の講義をまともに聞かないで最後の一首の事だけを考えていて、〈万華鏡をゆっくりゆっくり回しつつ異常な瞬間で手を止める〉がするりと一首まるまる考え付いて、急いでメモして、完成させたという記憶があります。
〇フラッシュ
本当はタイトルを「flash」にしようとしていて、短歌研究の過去受賞作を調べるとタイトルが英語のものは無かったのでやむなくカナにしたら、その近辺の年に平出奔さんが「Victim」で受賞していてびっくり という記憶とともに覚えています。
なんとなく生きるのが息苦しいがそれでも頑張るライン+小学生のころが懐かしいライン+その線の交点として公園(行けば子どもがいて、子どものころを思い出させられる場)を置いた話でした。30には無理があったのと、ふつうに表現力不足なのと。
このころの自分の〈視聴覚室のとなりで開いている相談室の涼しい扉〉ぐらいの気の抜けようは、今の自分にはおそらく無くて、脱力してていいなと思います。
〇他のどこにもいない動物
明らかにタイトルが間延びしていると今は思うものの、当時はこれで目を止めてもらえるに違いないと信じ切っていました。さっきの「パレード」と同じことで、動物をテーマにしながら、人間もまた動物だよね、というオチで、〈飛ぶよりも飛べたらと思う方がいい空がよく見える滑り台に立つ〉を掉尾とした連作です。当時、ちょっと圧縮するのにはまっていて、「空がよく見える」「滑り台に立つ」を7で読ませる窮屈感を推していました。今も好きではあるものの、最後は内容的にも解放感を持たせた方が自然かなと思うので、ふつうに定型っぽくすれば賞的には尚よしなのかなと思います。
ちなみに、動物というテーマで言えば、俳句で作った、「動物」30句連作が自分の中でゴールだと思っています。もしお時間あればお読みください。
〇木と追想
このころはまだ、純に幻想(っぽい言い方)を書ける時期で、今思えば一番角川短歌に近い時期だったなと思います(現に一次を通った)。
見てみると、始まり3で主体が木に凭れている映像、1でうとうと追想開始、中間41は子ども~大学までの追想、1で追想終了、4で現在の自分が木と絡めながら今と未来を思う、という、かなりシンプルな構成で、意外に見やすかった(〈光りつつ翳る大木自らのいのちが恍惚と暈けていく〉がラスト)。おそらくこの〈光りつつ〉の歌は、短歌合宿か何かの歌会で出した歌で、なんか綺麗、という感想と抽象的だという感想を同時に貰った記憶がある。私がいま評をするとしたら、「いのち」と、「恍惚」が逆行して悪目立ちしている、と言うと思う。
〇海辺の家族
実体験の方がウケがいいかなと思って、がっつり実体験ベースで書いた連作。短歌の賞に応募するのはまだこの時はそこまで慣れていなくて、短歌の友人と応募作を見せあいながら、意見を出し合いながら修正したいい思い出がある。
タイトルもべったりしていて、大御所の第8歌集みたいな感じ。
実際、最後の一首は筆者の話で、初めてちゃんと家族写真を撮ったのが大学に行く前のこと。微妙に笑えていないような自分と、そういう写真に慣れていない家族の、微妙な笑顔×4が写った写真は、今も保管して持っている。落選したとしても連作自体に思い出があるのは、人生を眺めて見るととても良いことだなと思います。当てに行って落ちただけのものよりも、いろいろ思い入れのあるものの方が記憶していたりしますね。
急にこんな記事を書くことになったのは、自作(俳句・短歌)を全てExcelに移行し終えたからです。疲れました。皆さんも適宜やっておくべき行為です。
おそらく、未公開のものを改めて全て推敲し直すことはないと思われるので、取りあえず中でもいいものだけ紹介しておけば、過去の埋もれた連作も報われるかなということで、書きました。
一応、現時点で俳句が2772句、短歌が3408首ありました。短歌の方が数年遅れて始めたのに追い越しているとは予想外でした(ここ一年半くらい俳句への熱が落ち着いてしまったのも要因)。
個人誌や歌集をそろそろ計画して動き出さないと収拾がつかなくなってきているので、どうにかしたいと思います。形にするときに捨てていくことになってしまう作品に少しでもライトを当てられたらと思っています……(作品を擬人化して、かわいそう等思う節が自分にはある)。
もうほとんど賞には応募していませんが、賞とそれぞれの応募にまつわる思い出があるのは、意外にいいことだなと思うようになってきました。思い出フェチ。頑張ろうとしている皆さんを応援しています。私も頑張ります。
追記
あつかましくて申し訳ないですが、宣伝させてください。
11/11の東京文フリで発売されるものです(私は現地には行けません。大学時代は毎回行っていました。いい思い出)。
・「ぬかるみ派」vol.3 特集:絶滅の世代 そ-03,04
短歌評論「余地」&20首連作「Antipathy」寄稿
文芸批評・現代思想等の同人誌で、短歌コーナーじゃない場所で売っています。
かなり重厚で、ぬかるみ派といえば批評系でとても注目されている噂の同人誌というイメージだったので、こっそり同席して恐縮ですが、頑張って短歌と短歌の事を書きましたので、ぜひご覧ください。
・枡野浩一・pha・佐藤文香編著『おやすみ短歌』実生社 U-27,28
一首掲載されています。夢・眠りっぽい短歌は相当作っている自負がありますが、その中でもちょうど眠りに就くのに良さそうな渋いチョイスをしてくださっています。同じく第三滑走路の青松輝も載っているそうなので、ぜひお楽しみに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?