コロナ禍での労働と生き方について考えた
私、猛烈に働きたくない。大学出てからずーっと転職繰り返しながら働いてきたけれど、やっぱり「私向いてないから働くのやめます。若いし未婚だけど、やっぱりどうしても働くのが向かないからやめます」と常に言いたかった。若い頃から。
しかし、「日本でそれを言ってはいけない。働かないのは悪、特に若ければなおさら」っていう同調圧力が昔から強い。
でもさ、何で向かないことを向かないから辞めるっていってはいけないんだろうか。そしてそうやって悶々としているうちにダラダラと働き続けていっつも不満だらけで今を生きられなくてずっと不幸になるんだよ。
昨日読んだこの津村記久子さんの「ポトスライムの舟」はまさにそういうテーマを扱っていて、共感できる点がいっぱいあった。
特に今はコロナ禍。そして私は不安定な身分の派遣社員。「向かないことを続けること」の意味を最近毎日考えている。
コロナ禍で在宅勤務となり、外出しないから物欲を刺激するデパートとかかわいいものが置いてあるお店、おいしいレストランなどにも行かなくなり、お金を全く使わなくなった。一人の時間が増えて、本や漫画をたくさん読むようになった。一人で物事を考える時間が長くなった。
そして私は思ったのだった。「お金は今稼いでいるほどはいらないんだ。だったら本当に最低限のお金しか稼がなくてもよくて、自分の時間を増やして、自分にあったゆったり生活してもいいのかも」って。
そしてコロナ禍で世界中のシステムが変わっていくとき、特に日本の働き方がどんどん変わっていくのを実感したとき、不謹慎ではあるが、自分の時代がやってきたと思った。多分私のような考え方をする人は今後増えていくだろうし、この保守的な日本においても徐々に「私は仕事をすることが向かないから辞めたい」と声を上げていく人も一般的になっていくような気がする。そうなってほしい。
本の話に戻るが、この小説の主人公は、自分の年収と世界一周クルーズの旅が同額であることに気づく。そして彼女の世界はどんどん変わっていくのである。会社に行くことの閉そく感とか、すごく描写がリアルだと思ったら、作者は私と同年代だった。労働と自我が一致しなければ、やはり方向転換した方がいいと感じる。
コロナ禍の中でこの本を読むといろいろと考えるわ。