「大学を創る」という夢は、教育への逃げなのか? ~夢のきっかけを考える~
僕には多くの友人がいるが、僕に対して手厳しく提言してくれる人が大好きだ。その提言を僕が聞くかは自分で決めてしまうのだけども。
先日「学生が教育分野に興味を持つのはある意味逃げなんじゃないかな?というのも教育っていうと本当に多くの分野があるからその全てに対応できてしまうよね。」という様なことを友達に言われた。(少し前のことでニュアンスが違うかもしれないが、僕のメモにはこの文章があったので、、、)さぁ「大学を創る高校生」としては、手厳しい言葉だ。
僕が一つそこで補足したのは、「教育に学生が興味を持ちやすいのは、まだ社会に出てない僕たちが唯一と言っていいほどの当事者として感じられる「違和感」が教育にあるからじゃないかな?」ということを伝えた。
では「大学を創る高校生」はなぜ教育に興味を持ったのかをお伝えしよう。
きっかけ自体は、もしかした僕は少しだけ他の人とは異質かもしれない。というのも、
正直私はこれまで自分が受けてきた教育に「違和感」を感じたことは少ない。もちろん無いわけではないが、僕の周りで教育を変えたい学生と比べると少ない様に思える.その証拠に私が変えたいのはこれまで私が経験してきた小、中等教育ではなく、高等「学習」機関なのだ。
きっかけは、カナダで差別されたことだ。その時初めて差別されることに新鮮さと興奮を覚えたわけだけども、私は非常に悔しかった。その時にどうにかして、私は日本を世界に認められる国にしたいと思ったのである。いきなりそんな規模に飛躍した理由は自分でもわからない。とにかく、その時から僕の判断の価値基準は割と「日本のためになるかならないか?」最近では「社会、世界の為になるかならないか?」なのである。
日本を世界に認められる国にするために最初は、世界一の経済立国を目指す為に自分が起業して世界一の企業を作り、他の企業や人を牽引していこうなんて考えた。しかしながら、私はそこで考えた。企業の寿命はせいぜい30年。いや30年くらいであるべきだ。と思った。実際に日本は30数年前は世界で誇る経済大国だったわけだが今では、失われた30年なんかと言われるくらいのポジションに落ちてしまった。
では、歴史を見た時にとても長い期間生き延びているものは何か?それが大学だった。イギリスの大学なんかだと1000年前からある大学などもある。こんなに長い期間存続し良い人材を生み出し続けれたら、日本は、世界は、社会は、半永久的に良い人材を手にして彼らがそれらをより良くするだろう。と思ったのである。
だから大学を創って半永久的に社会を先導する人材を生み出そう!
これが私のきっかけである。
あ、そういえば、僕の夢が逃げかは分からない。でも僕がやりたいことをやりたいと思う。そしてそれは社会のためになると信じて僕は今後もやっていきたいし、その目標に対しては逃げてはいけないと思う。