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ウマネジメント 2鞍目 伝える側の責任

「先生、この馬、怒ってますよね…」
レッスン前、今日の騎乗馬に「今日はよろしく~」とあいさつがてら首筋や肩を撫でていたら、耳がビシっと後ろにくっついて、よく見ると目もギョロリとなっている。こ、これは馬が怒っているときの顔だ。
「ああ、その子、触られるのあまり好きじゃないのよ~」
そ、そうでしたか。すみません。必要以上にべたべた触らないようにしよう。

いろいろな馬がいる。
ポジションにも好き嫌いがあったりする。自分の前に馬がいないと動かなくなる(先頭が嫌い)、前の馬に近づきすぎると前の馬のお尻をかみつきにいく、後ろの馬が近づきすぎると蹴る、馬が嫌い(前後の距離を開ける)等々。
先頭が嫌いな馬に乗るときはとにかく前の馬と離れないように気を付けて乗る。拙い私の指示でうっかり止めてしまい、気づけば前に誰もいない(いや半周ほど先にいるのだが)。『あ、前に誰もいないじゃないの! ヤダヤダヤダー』と馬はさらに動かなくなる。しかたなく、私を乗せたまま、インストラクターが引っ張って半周前で待っている馬の後ろにつれていくことに。

同じじゃダメ

ある時、初めて騎乗した馬はとても反応が良い子だった。
しかし私は騎乗してすぐに彼を怒らせてしまった。
それまで、私の脚の指示が中途半端だったこともあり(※)、強くお腹を蹴らないとなかなか発進をしてくれないことが多かったため、私は最初から思いっきり彼のお腹を蹴ってしまったのだ。
彼は耳を後ろにピタッとつけてあきらかに怒った。
(※馬を歩かせるときは脚で馬の腹を圧迫したり踵でポンポンと蹴ったりして合図を送る)

「いきなり強く蹴られたら馬も嫌だから、最初は優しい合図から初めて、その合図にどう反応するか見ながら、合図を強めていくんだよ。お腹をふくらはぎで圧迫するだけで発進してくれる子もいるからね」とインストラクター。
彼はそのタイプだった
怒らせてしまったのでこわごわ脚の合図をしていたら、今度はなかなか進みだしてくれず、そのレッスン中は、彼との「良い加減」を見つけられないまま終わってしまった。

また別の馬では、私が合図する脚の位置が少し後ろだったせいで馬が後ずさりをはじめたり、狭い柵の間で大きな馬体を曲げて方向転換して後ろの馬と対峙することになったりもした。気まずいことこの上なし。

そんなことが続くと、つい馬の耳を見てしまう癖がついた。
馬の機嫌をうかがってしまうのだ。

反応が悪いので強めに脚で合図をしたら、一瞬イラッとされたような気がして耳チェック。耳ペタになっていないので大丈夫そうだ。
「元気よく歩かせてー」というインストラクターの声に、再度脚で合図をしたら、前の馬との距離が近すぎて、『ちょっと! これ以上前に行けませんけどっ!』という感じでこちらをちらりと見て馬が止まってしまった。馬と馬の距離を考えたうえで指示を出すのは当たり前なのに、前を見ていなかった私のミスだ。

レッスン後、インストラクターに「下じゃなくて前を向いて」と言われる。
私の中に「自分のせいで馬に嫌な思いをさせたくない」という気持ちがあって、必要以上に馬の機嫌を気にしてしまうのかもしれない。卑屈になりすぎた日には「私が乗り手でスミマセン」とか思ったりした。

空を見て胸を張る

なかなか前を向けない私に、その日インストラクターがアドバイスをくれた。
「いったん空を見るといいよ」
ポクポク馬を歩かせながら空を見上げた。いい天気だ。顔を上げると胸が広がる。姿勢も良くなる。顔を前に戻すときに息を吐く。リラックスした。
馬の耳ばかり見ていた時は視界が狭かったことがわかる。
馬場の真ん中に木がある。そこで小鳥が鳴いている。隣の広い馬場では上のクラスのレッスンをしている。
私の前の馬との距離が少し近くなった。手綱をぎゅっと握って上半身を少し後ろに傾ける。今日の騎乗馬はとても反応が良いので速度が少しゆっくりになった。すごい。彼の肩をポンポン叩いて褒める。
ああ、嬉しいなあ。楽しいなあ。

自信がない騎乗は馬に伝わる。自信がないと指示があいまいになる。あいまいな指示では『どうすればいいの? 分からないから前に進もう』と馬が判断する。それは馬が勝手に動いているように見えることもあるが、乗り手の責任だ。
馬の視界は350度という。真後ろは見えなくても、いろんなところが触れている乗り手の様子はお見通しだ。胸を張って顔を上げて鞍にどっしりと腰かけると、馬も安心するに違いない。
できないならできないなりに前向きに胸を張って乗ろう。

指示はコミュニケーション

人と人でも、言葉でちゃんと伝わることもあれば伝わらないこともある。
伝える側と受け取る側がその言葉を「同じ意味」でとらえているとは限らないからで、そこに誤解やトラブルが発生するのは日常茶飯事だ。
馬とのコミュニケーションは合図で、言葉よりもはるかにシンプルだ。
個性を踏まえて、伝える側が「伝わるように」調整しなければならないことがよくわかる。

人も同じだ。言葉に頼りすぎず、伝える側は受け取る側の個性や知識レベル・経験、ポジションなどを踏まえて、伝えたいことを伝わるように伝える必要がある。
そして大事なのは「伝えたいことの本質がぶれないこと」だ。
自信がなく迷いがあるとぶれて誤解を生みやすく、受け取った側が判断して(誤解して)動いてしまう。また、相手の顔色を窺いすぎて、「めちゃくちゃ機嫌悪そう。私、何かしたかなあ。でも言わなきゃいけないし、どうしよう。ソフトに伝えるか」などはっきり言えない場合や、逆に相手の状態も見ずにいきなり「じゃあこれやっといて」と投げてしまうこともダメだ。

例えば、次のような指示をしたとする。※<>は受け取る側の気持ちの例。
「この件進めよう<進めるのだね>、その前に他部門との調整が必要か<まだ進めちゃダメってことか?>、まあ大丈夫か<え?動いていいのか?>じゃあよろしく<結局どうなの? 進めるよ?>」
受け取った側が、指示者の癖をよく分かっている経験豊富なベテランだったら、他部門の調整を自分で行い結果を報告して最終判断を仰ぎ進めてくれるだろう。
そうでなければ、どうすればいいか分からないので、あらためて聞きにきてくれればよいが、何もせず次の指示を待つだけかもしれない。自分の判断で進めるかもしれない。結果、うまくいけばいいがうまくいかないこともままある。その時には「進めるって言われましたけど!」と言った言わないで不信感を生んでしまうことにもなる。

伝える側の責任は受け取る側よりもはるかに大きい。
人と人では言葉で伝える内容がより細やかで複雑であるがゆえに、伝える技術やスタンスも大事だ。
そうだよなーいろいろ気を付けなきゃなーと、手綱を握りしめすぎたら、馬がゆっくりになった。おっと正しく伝わったと苦笑する。

馬の耳はふわふわ。よく動く

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