「自己破産間近か、9月になろうとする」
いよいよ9月にもう少しでなる。
我が家は田園調布の一丁地に新築したが、そのために大きな住宅ローンをした。住宅ローンを支払うと生活費が足りなくなる。税金が払えないときがあるくらいだ。そういう時は、建物と土地を担保にし、銀行から別途融資を受ける。融資を渋られ、サラ金から数百万円借りたことがある。
この豪邸は、お金を吸い尽くすお化けだ。
前も書いたのだが、借金を借金で返している宙に浮いた借金があり、その宙に浮いた借金返済のためにさらにお金が必要だ。借りたお金は、宙に浮いた借金へと組み込まれていく。大きくなる一方だ。
自己破産に決めたのは、これ以上融資をうけられないからである。
これだけ借金が大きいと、節約・倹約ぐらいではびくともしない。
娘の知っている弁護士の先生にお願いし、自己破産と破産後の生活保護手続きをしてもらわないとだめだ。事前授業ではないので、お金がないから破産するのに、弁護士は、破産者からばっちりとお金を取る。今からでも遅くはない。弁護士への支払い貯金をしておくことだ。
医師をしている弟が、景気が悪い時に顧問弁護士になって頂いている先生の所へ行ったら、「君、ここはお金がある人が来るところだよ!」といわれたそうだ。
そういうことを知っているからである。
娘は、自立すればよい。よい給与をもらっているのだから。結婚費用に使いなさいと、娘が働いたお金は、貯金させている。娘には、わたしの家族員のクレカを作ってあげ、欲しいものがあれば妻が買ってあげている。
少しの間であるが、家族そろってよい生活をした。
それは、死ぬまでのよい思い出になって残るはずだ。
思いで作りのために、新築したわけではないのだが、結局そうなってしまった。
まぁ、人生とは、こんなものであろう。
もし、わたしが、あと20年若ければ、もっともっと稼げただろう。
わたしも歳を取り、疲れやすくなった。体に無理をするのは、歳を取ってからだと悪いと聞く。
自己破産をして免責になり、借金の支払いから逃れることができればよいが、判事さんが、あなたは、めちゃくちゃなことをして、わざと借金を作って遊んでいたようなところがあるので、免責を禁止!!しますといわれれば、奈落の底へ落ち、そこはこわいこわい地獄であって、アリ地獄の様に這い上がろうとしても、ずるずると落ちてしまい、鬼に食べられてしまうかもしれないのだ。心配になって、娘に聞くと、そういう場合は、「反省文」を書き、多くの人がそれで免責になり助かっているという。
わたしに「反省文」など書けるのだろうか?
人のことを揶揄することばかり言ってきた人間だ。
まだ、4か月先である。
その4か月間は破産する必要はない。
自由に使える時間だ。
それを思いっきり、小説を書く時間にあてよう。
そう決めた。
妻は、生活保護のことでノイローゼになっている。
四畳半一間、風呂なし、トイレ共同の生活が耐えられないというのである。もし、そうなったらわたし死ぬわ!というので、刑務所へ行くわけじゃないんだ。刑務所と比べれば天国だぞ、というと、妻は、わたしに取ってはどちらも同じよ、と立腹する。
四畳半一間に二人暮らしというのが狭いかもしれないが、自治体が言うなら仕方があるまい。
妻は、そこに住むなら埼玉の山の奥地とか、神奈川県の遠い海の近くがいいわ、という。最近、敷金、礼金がないアパートがあるらしい。しかし、住むからには家賃が必要であり、生活するには、最低限の食費・医療費、光熱費が必要だ。それさえ、齢で働きだす資力がないのだ。我慢である。
もちろん、わたしがやってきた、現在やっているライター業、講演講師、塾講師、大学の非常勤講師はあるが、サラリーマンと違い、何日にまとめてすべてのお金が入るわけではないので、誰もそれが全額揃うまでまってはくれないのだ。これが、自由業の怖ろしいところである。
それと何の保証がないということである。
こういうとき、サラリーマンは、退屈できつそうだが、良いと思う。