「今日、うちの塾へ来た野豚は」
今日、わたしの授業へ「体験事業」に来たいというものがいた。もう、わたしは、たいして塾業はやる気がない。塾を閉めて自己破産でもするかあ、という気分の時の「体験授業」である。妻から言われしぶしぶ教えてみた。
生徒は女の子でよくできる賢い子であった。
しかし、合格したい目標校のレベルが高いのでまだまだ一生懸命勉強しないとだめだろうという域であった。
父親はと一緒であった。
父親は三十代頃であろう。
あたまは禿げ上がり、顔にはニキビが多く、野豚のような顔をし思いっきり両足をひらいてふんぞり返っていた。
この仕事をしていると分かるのは、偉い人ほど、態度がすごく小さく無理なことは言わず、こちらに好意的であるということだ。
東京大学医学部准教授が子供を連れて来られたことがあるが、すごく紳士で、好意的であり、威張ったところがない。
今日の野豚親父は、顔だけではなく、頭の中も野豚そのものであった。
わたしが、「修辞」と言ったら、意味が分からないというのである。仕方がないので、「隠喩」「暗喩」といっても分からないという。「メタ」「メタファー」と言っても分からないという。ばかばかしくなって来た。
こんな野豚の相手をさせないで早く破産させてほしい。
後は、生活保護の生活が待っているばかりだ。
四畳半に夫婦で人まであり、風呂なし、お手洗いは共同。慣れれば普通になるだろう。それより、老人には考える時間がたっぷりあって嬉しい。