「太宰さんの文学は嫌い、三島由紀夫」
どの太宰治の評伝・評論集に、三島由紀夫が直接宴で機嫌のよい太宰に向かって、「太宰さんの文学は嫌いです」と言ったそうだ、と書いてある。上座に座り、酔って機嫌のよい太宰は、「そうはいっても、ここに来ているじゃないか、やはり好きなんだよな」と言ったそうだ。
この頃、太宰治は、「斜陽」を発表し、その評判が非常によく、「斜陽俗」何て言う言葉まで生まれ、所謂、流行作家だった。
三島は、太宰の「作品・斜陽」に対しても、上流階級の人,、華族の人はこういう話し方や言葉遣いをしないと反撃に出ていた。
太宰は、どこへいっても最高の厚意をもって迎い入れられ、多分、三島のことは忘れていただろう。眼中になかったと思う。
また、太宰と三島では、性格が違いすぎる。
どちらも繊細でナイーヴであるとは思う。
太宰は、プライドが高く、その癖して弱虫な所がある。現実で生きていけたのは才女、美智子夫人の内助の功があったからだろう。
後、太宰には人に対しての絶対的なサービス精神があった。相手が喜んでくれるのが一番嬉しかったらしい。これは、太宰が生きる上で身に着けた処世術であると思う。
三島由紀夫のことは、現在、研究中である。性格は、部分的には似ているところがあるが、三島の自我の強さはどこから生まれ出て来るのであろうか。本来内向的なのが、非常に精神の軸が外向へと向かう時がある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?