「太宰治は女々しいのか?」
太宰治嫌いの三島由紀夫が、太宰は女々しいから嫌いだと言うが、太宰は本当に女々しいのであろうか?
わたしは違うと思う。
太宰は、女々しいというよりナイーヴで繊細的で、感受性が豊かな人だと思っている。
また、太宰の女々しさというのは、わざと太宰が取る「ポーズ」だと思う。
三島由紀夫と太宰は非常に近いと思う。
三島は、女々しと太宰を言い嫌っているが、自己の性格の女々しさの部分を毛嫌いしていたかもしれない。
三島は、幼い時から家族で女性が多く父親は厳しいという特殊な環境で育ってきた。体を鍛える前は、青白い文学青年そのものだったと思う。
三島が、女性の気持ちがよくわかり、小説を書くことができるのは、女性たちが多い環境で育ったせいかもしれない。
青白い文学青年だった三島、これは、三島に取って大きなコンプレックスであっただろう。それを書くしながら、文武両道と言って体を鍛える三島は、希望と屈辱感があったと思う。なぜ? ここまでして、つまり、体を鍛えてまで流行作家をするのか? という疑問である。
太宰は、隠すというよりわざと前面に女々しさを出し、「ポーズ」として「太宰治という人柄」を作って行ったと思う。
太宰と同じ悩みを抱えていた三島にとっては、太宰は、嫌な不安な存在だったに違いない。
太宰の方が、女々しいというより、むしろ、図々しいと思う。
太宰が、読者にまで、「弱さを認めるのが太宰の良いところ」と解釈されるというのは、予想外であったであろう。
三島が嫌う太宰の女々しさが、妙なことに、太宰の強さと評価されたこおだ。