ライティング・スクール2019 受講生座談会
浄土複合ライティング・スクール2019に一年間通った受講生による座談会をお届けします。個性豊かな面々によるクロストークを通じて、スクールの雰囲気が伝わる内容となっています。ぜひお楽しみください。
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参加者:園田葉月、中西一史、八田智大、水上瑞咲
園田:今日は受講生座談会の司会兼発言者を務めさせていただきます園田葉月です。二十歳です。大学で美術史や芸術学を学んでいます。まずはそれぞれの自己紹介をお願いします。
中西:中西一史です。ジャグリングの舞台公演の運営や作品づくりをしていて、普段はWeb関連の会社員をしています。京都大学に行っていたので、学生の頃に浄土寺に住んでいたことがあり、そこでスクールが始まるというのを知って驚きました。
八田:八田智大です。仕事で文章を書くことをしているというのもあり、どこかのタイミングで文章を書くスキルを磨く機会を得たいと考えていました。
水上:水上瑞咲です。大学院で社会学の研究をしていて、今は広告関係の仕事をしています。
スクールに通うきっかけや動機
中西:ゲスト講師のお名前を見て、こんな豪華なスクールが浄土寺で始まるのか、と。それがきっかけですが、浄土複合がただのライティング・スクールではなく、書くことを造形することとして捉える姿勢を持っている点にも、創作をしている身として強く惹かれたんです。
八田:僕はもともと批評には興味があったので、それをベースに美術や書くことについて学べるのは魅力的でした。他にあまり見ないスクールですし、ゲストの皆さんも素晴らしく、その後押しもあって受講を決めました。
水上:私の場合、自分の怠惰もあり修士論文を書き切れなかったという思いがありました。社会人になってから、「編集は面白そうだけど自分のやることではないな」とか、「専門性のある文章は知識のある人が書くものだな」とか、自分の興味のあることが自分のやることではないという気持ちがあって。そのような時に、このスクールを知り、自分が編集や書くことに取り組むための窓口が開かれているような気がして受講したいと思いました。
園田:私は大学に入学し一年経った時に、レポートなどの文章を提出してもそれに対するフィードバックがほとんどないことを疑問に感じていました。ただ書いて、提出して、記号で成績が付くというサイクル。自分の文章に対して、意見やコメントをもらったり、その文章について他人と議論する機会が欲しいと考えていたときに、このスクールを見つけました。それから、アートについて議論できるコミュニティを求めていたというのも大きな動機です。
(左から八田、水上、園田、中西)
レビュー執筆
園田:レビューを書く際に、何も切り口が見つからず苦しかったことがありました。面白い切り口が見つかれば、文章の組み立ても順調に進むのですが。皆さんは三回のレビュー執筆を通していかがでしたか?
中西:僕は、これが書きたいという明確なものが必ずしもあるわけではなかったです。ジャグリングをしているので、途中からはそれを軸に「自分は作品をこう見た」というのを整理して、それを起点に書くようになりました。それからは書くことがないというのは無くなりましたね。
八田:自分に引き付けて見られるようになったわけですね。
中西:はい。でも自分に引き付けることでの問題点も出てきました。ジャグリングをしていることもあり、一二〇〇字という課題の文字数の枠内で意味を定義するのが難しい用語を使いがちだということが分かってきたんです。それは作品づくりにも通ずる新たな視点でした。
水上:最初は、見たものを書くということが難しかったです。言葉を言葉に置き換えることとは違うので。そもそも見たものを言葉で表すというのは、どういうことなのだろうと。作品に対する自分の考えを具体的な根拠で補うために、その作家の本に頼ったこともあるのですが、上手く活かせていないとただ本から写してきたようになったり。試行錯誤を繰り返していきました。
八田:僕は二回目の課題で「ジャコメッティとⅠ」展を取り上げたのですが、その時のことが印象に残っています。基本的にはその場で直感的に考えたことを文章として組み立てていったのですが、後々色々調べてみると自分と同じことを思っている人が複数人いました。答え合わせではないですが、自分の直感が普遍的なことと重なるのは自信につながりました。
園田:私の場合、初めは単なる印象論に留まったふわふわとした文章しか書けず、変えたいものの具体的な方法が分からずにいました。でもゲスト講義で千葉雅也さんから頂いたアドバイスで革命が起きました。それは「レビューに「私」という言葉を頻出させすぎている」という内容で、「私」を使わないというルールを設けて文章を書くことを実践しました。導入は形式的なことですが、それによって内容も独りよがりなものから根拠に基づく論理的なものに近づけるようになりました。
水上:たしかに、がらりと文章の雰囲気が変わりましたよね。自分の思ったことを伝えるための材料として客観的な情報を使うと内容がとても濃くなって面白いなと思います。
園田:そうですね。あと自分の文章を過信しないことを常に頭に置いておきたいなと。私は課題の提出前、必ず母親に最初の読者になってもらっていたのですが、そこで意味が通じなかった箇所は、スクールにおいて指摘を受ける箇所と重なることが多かった。せっかく意見してくれた母に対してむすっとしてしまったこともあって(笑)、でも改めて読者の客観的な感想が重要なのだと実感しました。
水上:そうだったんですね。私の文章と八田さんの文章が少し似てしまう部分があると思っていたのですが、その作品や展示のありがちな読み方を掴もうとする共通点があるかと思います。もちろんそれも大切ですが、それとはまた違う線を自分で探すという作業を意地でもやることが重要だと気付きました。
中西:皆さんは自分が書き手になることで、起こった変化はありますか?
水上:何でもない文章でもちゃんと書き切ることが難しいと分かったのは大きいです。どんな文章を読んでいても、筆者は様々な見方ができる中から、意図的に何かを選択して書いているのだと思うようになりました。あっちもこっちもある中で、潔く書くべきことを引き受けたのだと思うと、改めて凄いなと。
八田:よく分かります。書く経験を通して筆者がそれを書いたプロセスを想像できるというか。
中西:課題を繰り返すことで、徐々に一二〇〇字という字数の長さを身体的に理解していった感じがあります。一二〇〇字でどのような論理展開ができるか、そもそもテーマが文字数に相応しいかどうかが分かるようになってくる。
ゲスト講義
中西:小崎哲哉さんの講義が印象に残っています。雑誌の編集者や企画の生まれ方について詳しくなかったのですが、小崎さんがこれまでに作った本のお話を具体的に聞いて、思想の裏に目的があってそのロジックのもとに、本が形として出来上がっているということを改めて凄いなと。あと日本だけに知識を閉じ込めず、文章を外国語で書いて、多くの人の中でもまれることが重要だとおっしゃっていて、なるほどと。
(千葉雅也氏によるゲスト講義)
園田:千葉雅也さんは衝撃でした。もちろん先ほど述べた、文章に対するアドバイスも印象的ですが、まずこんなに話が面白い方がいるのかと。私は話す際に聞き手の関心を引き出すようなスキルがないことが悩みなのもあって、心を打たれました。千葉さんのリズミカルで切れの良いお話には無意識に引き込まれて、あの時間が本当に忘れられないですね。次の日まで余韻が続いていて、頭が飽和していました。
水上:分かります。とても高度なことを、聞き手に分かるように且つ飽きさせないように話されていましたよね。あんなに勢いよく濃度の高い話をされたら気絶するはずなのに、ところどころで笑いも入るという(笑)。
園田:あと、ご自分のお仕事の様々な断片を実際に見せて下さり、その時進行中のものもあって、すごく勉強になりました。
八田:千葉さんのお話で特に印象に残っているのが、まずは溢れさせるように書き、それを更に自分で編集するという二段階で原稿を作成するという書き方です。その方法を学んでから、自分の執筆においても実践するようになりました。そしてそれが自然な自分の書き方になり、それまで感じていた書きづらさがずいぶん解消されました。
水上:小林えみさんは、「内容が面白いかどうか以前に、文章をちゃんと書けているのか」という問いを投げかけて下さいました。鍛えるべきところを丁寧にお話されていて刺激になりました。森大志郎さんの時はワークショップ的で、受講生が持ちよったフライヤーに対して気になったことという素朴な視点からレイアウトや印刷というデザインの問題に広げていくのが面白かったです。
中西:たしかに。ゲスト講師の皆さんの出版物や知性に対する覚悟のようなものには、制作する者として感銘を受けました。
水上:毎回言われたことを信じては裏切られたというのも印象的です。ゲスト講師全員の時間の使い方が違ったというのも面白かったですよね。
八田:福永信さんの講義では、その場で短い文章を書いてTwitterで投稿するといったことに挑戦しましたが、瞬発力が必要で普段とは違う鍛えられ方をしたように思います。
水上:福永さんは「書き切ってやっと最後にひとつ面白いことが出てくるから、それでまた書き直せば良い」とおっしゃっていて、その繰り返しが文章の質を上げるのだと。そう考えると期限内で出来た出来なかったの判断はつけられない。
園田:そうですね。書くというのは本当に時間と手間のかかる行為だと思います。書くと一口に言ってもそこには折り重なったプロセスがあり、様々な神経を駆使しなければならないと実感しました。例えば事実確認や文章の骨組みを考える際には丁寧さや緻密さが必要ですが、切り口の設定や話の順番には、思いきりや遊び心も必要なのではないかと。
制作物(浄土寺造形物マップ、Jodo Journal)
八田:プログラムの一環で10月に制作した「浄土寺造形物マップ」は、アート作品ではなく、浄土寺周辺の造形物という切り口からアプローチしましたね。
水上:美術作品だと答えがあるのではないかと書きづらさがありますが、周辺のものを取り上げたマップでは、自分のライティングで造形物を立ち上げることにシンプルに向き合えて、リラックスして書くことができました。それが印刷されて、形を持ったモノになるだけで、そこから色々なフィードバックが生まれるのも楽しかった。
中西:僕はそこで初めて、他の人が書いた文章を校正する作業をしました。より分かりやすい文章を筆者と一緒に作るというのは良い経験でした。
園田:私も中西さんと同じ校正作業をしました。例えば私がその文章に対して何か思うことがあっても、筆者が熟慮の末に意図的にそうしたと思うと、他の人が書いた文章に対して意見することは想像以上に難しい。他の人の文章の色のようなものを壊すリスクがあるなと。その後の『Jodo Journal』についてはどうでしょうか。
八田:書くだけではなく、企画のプレゼンから行ったのも興味深かったです。その後みんなで話しながら、浄土寺エリアという要素とブックガイドの案が結びついて生まれたのが「浄土の本棚」の企画ですよね。
水上:冊子制作によって、レイアウトされた時のことを踏まえた文章作りという意識が、初めて出てきました。最初の五行がいかに重要か、実感しました。
中西:他の人の文章と並べられてみるとやはり全然違いますし、タイトルは顔なんだと改めて感じました。
園田:スクールの外へインタビューに行かれたのはどうでしたか?
水上:自分たちの手持ちだけではなく、外へどう広げていけるかということは重要だと感じました。編集作業はスキルのある方に頼ってしまったところがありますが、その中で自分の原稿が色んな組み方をされていたりするのを見て、これだけの作業をして頂いているのだなと。
八田:皆が編集作業を担当していなくても、それぞれが編集的な目線に立って各自の作業をしていたのではないかと思います。編集担当としては、それぞれの作業が可能な限りスムーズに進むように意識していました。
それぞれの今後
中西:一年を通して書くことから本を作るところまで学んだので、僕も企画を考えるところから一冊の本を作ってみたいと思っています。今までジャグリング公演の演者に対するインタビューを紹介するような雑誌を作っていたのですが、紙だからこそ伝わるジャグリングの魅力という視点から作ってみたいです。
水上:書くことを触発される一年を経て、次の一年はそこで浮かび上がった課題を補いたいかな。講義内で紹介された参考文献も読みたいですね。書くことを通じて読むことがとても面白くなったので、読むために書き続けたいという気持ちもあります。
八田:一年間を通じて書いていく中で、それまであった批評へのためらいや恥ずかしさみたいなものがずいぶん克服されました。これからは他の受講生の方と一緒に、自主的な批評誌を作ってみたいと思っています。
園田:私は、将来の目標から逆算的に何を学ぶか、どんな知識を得るべきかというのを考えていました。でも視野を狭めずに、編集や本づくりをはじめとした幅広い知見を身に着けたいと思うようになりました。また、ここで出会った皆さんはそれぞれの手段やリズムで書くことや学ぶことを続けていらっしゃる素敵な大人で。私も自分自身の方法を模索したいです。今日は皆さん、ありがとうございました。
構成=園田葉月
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2020年度 浄土複合ライティング・スクール第二期は、新型コロナの状況も踏まえ前期(4/18〜)の定員を縮小して13名で締め切らせていただくこととし、残席はごくわすかとなっています。ご検討中の方は、ぜひお早めのお申し込み・お問い合わせをいただければと思います。どうぞよろしくお願いします。