パンデミック下で作品を捉えなおす(2):安部公房「詩人の生涯」

氷の街に耳をすませる

中谷 利明 

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 新型コロナウイルスの流行をうけて発令された緊急事態宣言。それに伴い、人々の暮らしは困窮し、街の人通りとともに凍りついてしまった。
「想出さなければならない。この変身がやってきた道程について」
 そう呟き、凍った街に雪解けをもたらしたひとりの詩人の話を私は思い出した。

 冬の近づくなか、機械のように絶え間なく糸車を回しつづける「三十九歳の老婆」は、疲労のあまり綿となり、糸に紡がれ、一着の「ジャケツ」になってしまう。老婆の息子は勤め先の工場へストライキを起こし解雇されるも、工場で働く仲間たちのために「消えかかった心臓のストーブに吹き送る酸素の言葉」を謄写版で紙に刷りつづけていた。そして、「誰も彼もが貧し」いその街にすべてを凍らせる冬がやってくる。安部公房による短編小説「詩人の生涯」のおおよそのあらすじだ。
「どこの質屋の庫も、すでにジャケツでいっぱいになっている。町中のどこの屋根の下も、ジャケツを持たない人でいっぱいになっている」。皮肉とユーモアに満ちたこの一節は現代の私たちが置かれている状況にも当てはまる。「人は貧しさのために貧しくなる」。経済の不均衡、こうした不条理のために人々は魂までをも貧しくしてしまったのだ。そうして、多くの「夢や魂や願望」は空に蒸発し、冬の寒さとともに降りやまぬ雪となって街に降り注ぐ。その雪はあらゆるものを凍てつかせ、街ゆく人々までもがその姿のまま凍りついてしまうのだ。
 質屋の庫にしまわれていた「老婆」である「ジャケツ」はネズミに「血管」である「糸」を噛みちぎられてしまう。真っ赤に染まった「ジャケツ」は、凍りつく息子の肩へ舞い降り、息を吹き返した息子は自分が詩人であることに気づく。彼は雪の結晶を見て、「想出さなければならない。この変身がやってきた道程について」と首を傾げ、「貧しいものの忘れていた言葉ではないのか」と思い至る。
 青年は冬が来る以前から境遇を共にする仲間たちへ「酸素の言葉」を届けつづけていた。しかし、母の死や街の凍結による喪失のためにその身ひとつとなったとき、初めて自分が詩人であることを自覚し、変身を遂げたのだ。そして、「貧しいものの忘れていた言葉」は彼によって想出され、一編の詩として息を吹き返していった。

「酸素の言葉」。これを私たちが呼吸ととも吐き出す〈身体と共にある言葉〉であると捉えたならば、貧しくあっても尚つづく私たちの生活の中で交わされる言葉の端々にこそ、「酸素の言葉」が生まれ出る契機が見出されるのではないだろうか。
「彼は小わきのビラを裏返して、そこに雪の言葉を書いていこうと決心した。
一つかみの雪をつかんで宙にまくと、チキンヂキンと鳴って舞上がったが、落ちるとき、それはジャケツ、ジャケツと鳴って降った」。
 青年は、貧しい人々の声を書き集めていく。雪は詩となり、人々の魂を温める「ジャケツ」となった。そして完成した詩集の最後の頁を閉じると青年は頁の中に消えてしまう。
 誰しもが誰かを温めるためのジャケツを持っているはずだ。貧しさのために貧しくならぬよう、私はこの一人の詩人の生涯をいつまでも覚えておこうと思う。

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対象作:安部公房「詩人の生涯」(安部公房『水中都市・デンドロカカリヤ』・ 新潮文庫所収)

中谷利明:1992年生まれ、京都在住。京都精華大学デザイン学部卒業。
卒業後はアルバイトの傍ら、ライブや舞台の記録撮影を行う。三谷晃名義で詩作も行なっている。執筆活動はnoteにて公開中。https://note.com/nakatotsu2357

*本レビューは浄土複合ライティング・スクールの課題として執筆されました。https://note.com/jdfkg_school/n/n8cbcc1a89cc1

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