仕組み化された幸福感について
11月、とある本を読んで気になった
「カーニヴァル化する社会」という言葉。
この言葉をきっかけに
SNSを始めてからなんとなくモヤモヤ頭の中にあったものが
すっきり整理されました。
どういうことかというと
ワールドカップやクリスマス、バレンタインなど
メーカーやメディアによって仕組まれたイベントで
彼らの計画通りに私たちが行動し(盛り上がり)
経済的に搾取されたり、その他の機会を奪われている状態。
最近でいえば、
歌って踊って動画を発信することが自己表現や評価になっており
(正確には、そう思うよう仕組まれて)
歌って踊る事に時間を費やし、良い評価をされることに『幸福感』を感じたりすることも一例です。
(なんだか陰キャが僻んでいるだけみたいな文章になりましたが)
しかしですよ、
「内的に幸福」だけど「客観的には搾取されている」という状態が
ダメかと言われたらそうとも言い切れない。
「内的に不幸」で「客観的にも不幸」とか
「内的に不幸」で「客観的には幸せ」というような
そもそも自分自身が不幸を感じている状態と比べたら
「内的な幸福」があることは素晴らしいことなんじゃないの?
と思います。
クリスマスやバレンタインの時期が近付いたとき
私たちは、その背景にあるビジネス的策略についても
そこそこ視界に入っているわけで
それを知ったうえで、それなりに楽しむことが快適だと感じている節もありますよね。
物事には二面性が必ずあるから、
「クリスマスがあるから、家族とゆっくり過ごす機会になった」という人もいれば
「クリスマスに限らず家族と過ごすべきなんだから、クリスマスで良いことをした気になるなんてけしからん」と考える人もいるでしょう。
サポートして頂けると嬉しいです!皆さんにとって素敵な時間になりますように!