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蕁麻疹と過ごした数年間は大変だったけど無駄ではなかった話(2)

合同会社JC1の小林柚香里です。前回の続きです。アトピー性皮膚炎が治ったあとも、外食中心で、深夜残業や夜更かしをすることが多く、からだには全く優しくない生活を送っていました。仕事が忙しくなると、朝はマック、昼はコンビニ、夜はカップラーメン、という日もありました。

「ライオン」「アヒル」「ゴリラ」になる

30代半ばになると、半年に一回ほど、疲れた時やお酒を飲んだ時など、急に顔の一部が通常の倍以上のサイズに腫れるようになりました。目頭が腫れると額と目頭の高さが同じになるので「ライオンになった」、上唇が腫れると「アヒルになった」、下唇が腫れると「ゴリラになった」と言って、自虐ネタにしていました。
 
それと並行して、重度の過敏性大腸炎になったのもこの頃です。歩いている途中に、急にうずくまって立てなくなるくらいお腹が痛くなる日が続き、とうとう検査入院することになりました。
 
血液検査から始まり、CT、MRI、胃カメラ、腸カメラ、24時間の心電図、などなど。4日間の入院中にからだの不調の原因をくまなく調べてもらったのですが、結果は「原因不明」。生活環境の変化によるストレスでしょう、という診断でしたが、この腹痛もしばらくすると消えました。
 
新婚旅行で7泊8日の地中海クルージングをしていた最中、フォーマル・ディナーの最中に、夫に「おい、ライオンになってるぞ」と耳元で囁かれ、鏡を見ると、まさに顔がライオンに変身中! すぐにディナーを中座して、乗船しているはずのドクターを探しにいきました。
 
ドクターをやっと見つけて、医務室へ。そこで、ちょっと酔っ払っていてイタリア語訛りの英語を話すドクターに「私はアレルギー体質で、たまに蕁麻疹が出ます」と一生懸命伝えても、伝わってるのか、伝わっていないのか、いまひとつはっきりしないのです。ある意味、とてもスリリングでした。
 
そして、たぶん一生のうち最初で最後の「地中海の上を航行中のクルージング船の医務室でイブニング・ドレスを来たまま点滴を受ける」という貴重な経験をしたのでした。
 
会社で「アヒル」への変身が始まってしまった時には、即会社を早退し、病院に。この頃の私の蕁麻疹は、大体2日経つと綺麗さっぱり治ってしまっていました。
 
だから、2日休んだ後に出社して、上司に「蕁麻疹でお休みいただきました」と報告したところ、顔をジロジロ見られて「何もあとが残ってないねぇ」といかにもズル休みしたな、的なコメントをもらったこともあるくらいです。
 
急に出るこの蕁麻疹は厄介だなと思いつつも、腫れが引いた後は全く何ともないので、アトピーと同じようにそのうち治るだろう、くらいに軽く考えていたのでした。
 
(次回へ続く)