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KAWSとは何者なのか?

皆さんおはこんばんにちは!
(4318文字/約6分で読めると思います。)

先週は水の波紋・パブリック・トウキョウと屋外展示されている作品を立て続けに鑑賞しましたよ的なことを書いたんですが、歩いて立体的な作品を見て回るという体験はとても新鮮だったものの、そろそろまたギャラリーでじっくりまとまって作品を見たいなぁという思いがふつふつと湧いてきて、自分の中でもどういう新陳代謝が身体の中で繰り広げられているのか不思議になった今日この頃です。

そんなこんなで、なんかギャラリーで作品巡りしたいなぁと思っていたらついつい見落としていた「KAWS TOKYO FIRST」が森ビルで開催されていることを思い出しました。FIRSTと題されているので、日本初個展なのかな??と思いきや、2001年の渋谷パルコでも同様に「KAWS TOKYO FIRST」が開催されており、そこからの原点回帰も意味した展示だそうです。

原点回帰も何も、インスタグラムをフォローしているだけで、なんかキャラクター作ってる人なのかな程度の理解だったので、その原点すら知らなかった自分にとって、バンクシーみたいな人?と思っていました。

が、実際に展示に行ってみると、その作品群にかなり圧倒され、関連する作品やその背景について知っていくと、日本との関わりもかなり深いということもあったので、これを機にまとめてみようと思います!

本名、ブライアン・ドネリー

KAWSっていうのをやたら目にするので、バンクシーみたいに顔も本名も伏せたアーティストさんなのかなと思ったら、本名はブライアン・ドネリー氏で、ジャージーシティー生まれ、実際のお顔はやんわりとしていて、とてもほっこりするような出立ちだったのが意外でした。

そんなドネリーさんも最初からグラフティアーティストだったという訳ではなく、1996年に、ニューヨーク美術学校を卒業し、そこから3年間はジャンボピクチャーズというアニメーションスタジオでアニメーターとして働いていた経歴があり、そこでディズニー作品にも携わっていたそうです。

10代の頃はスケートにハマっていたらしく、ドネリー氏の10代というと、ニューヨークは1970年代、公共物へのグラフティが流行り出し、1980年代はキース・ヘリング氏やバスキア氏が出てきて、そんなお盛んな時代をスケーターとして間近でみていたドネリーさんは、1990年代からグラフティ活動を始めたそうで、タギング(自分のペンネームのようなテキスト、タグを壁にペイントする行為)において使った文字があの「KAWS」だったそうです。

なぜKAWSという4文字なのか?というのは気になるところですが、本人曰く、「意味はないけど、文字の並びと音の響きが好きだった」ということで、「僕はここにいる」という存在のアピールであり、他者とのコミュニケーションのための作品づくりという原点は当時からあったのかもしれません。

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1990年代半ばからは、壁や貨物列車に施していたタギングから、街中の電話ボックスやバス停の広告にキャラクターを描くようになり、企業広告にグラフティを加えて本来の意味から逸脱させる「Subvertising」という一つのスタイルを確立させました。

本展でもその一部が展示されていましたが、CALVIN KLEINやDKNYなどの広告に大胆にあしらわれたドクロフェイスは、一見すると落書きであるものの、色使いや、広告との配置バランスなども含めるとどこか調和が取れているような気もします。

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本来であれば、企業広告に独自のペインティングを施しているので、立派な犯罪行為になるところですが、KAWSの知名度が上がるにつれて、書き換えられた広告はすぐに盗まれるようになり、結果的にハイブランドからも注目されるというなんともカッコいい結末です。

Companionの誕生と日本

Subvertisingで一躍有名人となるドネリー氏ですが、その広告からも見て取れるように、この頃から後のトレードマークとも言える、二本の骨が交差し、目が×印のスカルマークが作られたとされます。どことなく不気味でありながらも、どこか可愛らいしい印象も受ける不思議なキャラクターです。

そんなトレードマークのスカルですが、本展やさまざまなメディアで取り上げられる際によく見かけるのが、胴体がミッ○ーのようなキャラクターのCompanionです。

このCompanionは、1999年に、日本のファッションブランド、BOUNTY HUNTER からのオファーで来日した際に制作されたビニールトイが始まりらしく、これまでにアルミニウム、ブロンズ、木など様々な素材で制作され、今でも世界各国で展示されています。

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2006年にはベアブリック(クマの形をしたフィギュア)を手がけるMEDICOM TOYとのコラボレーションで「Original Fake」というファッションブランドを誕生させ、2013年までは南青山に旗艦店があったらしいですが、これが今もあったら面白かったんだろうなぁと思ったり。。

本展でも展示されていた「RestingPlace」はCompanionが半分人体模型になっていますが、これも元々はOriginal Fakeの店舗オープンに合わせて企画されたフィギュアのデザインとして生まれたそうで、彫刻とおもちゃ、生と死の狭間のようなデザインはOriginal Fakeというブランド名を象徴するデザインとして作られたのかもしれません。(という風に解説がありました笑)

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シ○プソンズにそっくりな「KIMPSONS」も実は2001年〜2005年にかけて、あのファッションデザイナーNIGOさんからの依頼で数多く制作された作品で、今はなき原宿のVAPE CAFEの店内を彩るために50近い作品が作られたそうです。

そのうちの一つ、「THE KAWS ALBUM」という作品はビートルズのアルバム、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットをパロったものらしいですが、2019年、サザビーズ香港のオークションで16億4700万円というKAWSオークション最高額を記録したとか。。

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アプロプリエーションとその原点

NIGOさんやCompanion、Original Fakeなど、日本との関わりが深いことがわかってきましたが、それらの作品でもよく目にする、「アプロプリエーション」という手法も(既に流通している写真やデザインなどを作品に取り込み、新しい文脈として提示する方法)日本の来日がきっかけで採用するようになったらしいです。

1997年、初来日したドネリーさんは日本語が分からず、コミュニケーションに苦しんだそうですが、よく知る有名なキャラの商品が店頭に並んでいるのを目にして、言葉や文化の違いを超えたパワフルな共有感を感じたらしく、そんなキャラクターの強さを再構築して届けるKAWSのスタイルは、世界中の人と隔たりなく対話したいという想いが源泉なのかもしれません。

そんな想いは、素材や手法に囚われないとこにも現れているのではと、作品を通じて感じました。AR上で彫刻を展開する試み、「KAWS HOLIDAY」が本展用に「Expanded Holiday」として体験することができ、ディスプレイ越しには確かに存在しているが、自分の目だけを通すとそこには何もなく、周りの人はあるかのように振る舞っているのがとても面白い体験でした。

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彫刻について「彫刻を作るとき、その重さや建物に設置する方法などロジスティックな問題と向き合う必要があり場所と規模の可能性が無限大の展示に、可能性を感じた」と述べている通り、AR上でもその存在感は劣るどころか、むしろいつものCompanionが仮想空間に浮かんでいるというだけでワクワクしてしまいました。

彫刻以外のペインティングを見てみると、一見あまりにも筆跡がないので、プリントしたものなのか?と疑ってしまいますが、近くで目を凝らしてみてようやく見えるか見えないかというレベルで、作品名の横には「Acrylic paint」とあり、アクリル絵具作品だということにも驚きました。

このアクリル絵具は、Goldenという1980年創業の老舗アクリル絵具ブランドの絵の具が使われているそうで、特注した色も含めて、何百色とある色の中から、発色をなるべく鮮やかに保つために、混ぜることなく原色で塗るのが特徴とか。

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制作の流れとしては、まず手書きでドローイングを行い、スキャンしたものを取り込んだ後、画面上でそれらをコラージュ(バラバラの素材を組み合わせる手法)して配色を決め、プランタで出力した線画をベースに絵の具を塗り合わせていくそうですが、それが分かっていても一目見てKAWSの作品だ!と惹き込まれてしまうのは見ていて不思議でした。。

展示に合わせたインタビューでは

全ての作品は個人的な想いからきており、「作品は全て家族だ」とも言えます。「次は何を作ろうか?」、ではなく、これまでの作品とどのように成長していけるかを考えています

と述べており、作品は単体それぞれで楽しむこともできますが、作品ごとに別のキャラクターが登場したり、最新作、「FAMILY」のようにCompanion、CHUM、BFFらが一堂に会していたりと、どの作品も地続きに繋がった延長線上に位置しているのが、KAWSらしさでもあり、難しいことを考えずに楽しめるのも魅力の一つではと思います。

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破壊的創作者、KAWS

簡単ではありますが、略歴やスタイルの変遷、日本との関わりなどを振り返ってみましたが、ドネリー氏がグラフィティについて聞かれたときに以下のように答えていました。

グラフィティをしているときの自分の考えは「ただ知ってもらいたい」だけです。
世界でこの視覚的言語を使って知ってもらいたい。人々に届かないのであれば、絵を描くことは私にとって何も意味がありません

グラフィティ・アーティストの頃は、政治的な動機もあったようですが、タギングのように、ただただ自分の存在を沢山の人に知ってもらうという純粋な想いがあり、それは文化や言語を超えて成し遂げたいという執念が作品として現れているのではと思いました。

そんな態度が根底にあるからこそ、ファインアートからグラフティ、ファッション、トイ、彫刻、デジタルに至るまで様々なメディア、表現方法の境界を家族のような存在のキャラクターたちと共に軽やかに飛び越え、今日も創作を続けているんだろうと思います。

作品も、表現との向き合い方も含めてとても魅力的でしたが、そのスタイルと、作品から醸し出される有無を言わさず魅了させる、ある種の暴力的で破壊的な側面も感じ、表現の世界というのは改めて修羅の世界なんだなぁと感じました。創作過程や綺麗事は通用せず、純粋な腕力の世界は厳しい。。!ですが、だからこそ生まれる作品は圧倒的なのかもしれません!ではまた!



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