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JBFが出会った人たち #1 四代目 三遊亭金朝(噺家)
日本の伝統文化、落語。四代目三遊亭金朝さんは、下町文化への憧憬から噺家を目指し、真打ちにまで昇りつめた。その過程で得た仲間の大切さやインプットの工夫、そしてビジネスに通じるコミュニケーション論まで。さながら一席の落語のように、名調子で語ってくれた。
——金朝師匠は、なぜ落語家を志したのですか?
金朝 私は生まれ育ちが千葉なんですが、親類の家は向島とか京島とかあの辺りでね。じいさんやおばさんの話に耳を傾けてみると、これが面白い。夜中におばさんが帰ってきてドアの前で「開けてよ」なんて言うと、じいさんが「夜分ドンドン表の戸を叩くのはどなたですかな」と返事をする。おばさんが「私です」と返事をすると、じいさんは「ワタシってぇ名前の人は聞いたことがありませんな」と、こう返すわけです。もう落語の世界がそこに広がっている。親父も江戸弁で情に厚くて、そういう下町文化への憧れがあったから、落語が好きになったんでしょうね。それから自然とこの道に進みました。
——師匠は三代目三遊亭小金馬師匠ですよね。なにか理由があったんですか?
金朝 うちの師匠は、落語をほとんど崩さず丁寧にやる人なんです。それこそ、昔ながらの落語の世界が好きだったから「こういう人ならちゃんと教えてくれそうだ」と思って弟子入りしました。師匠から学んだことが今の私の持ち味になっているんでしょうね。
——なるほど。落語は伝統的なスタイルを継承することが大切だと思いますが、時代とともに変化していく部分もありますか?
金朝 これまでタブーだったことが打ち破られ、落語そのものがどんどん変わってきていますよ。私が入った時にはめずらしかった女性の噺家も、今では一大勢力です。どんどん新しいことに挑戦している化物(スター)も素晴らしいと思います。ただ、その中でも江戸情緒みたいな価値観は大事にしていきたい。少なくとも私自身はその世界観が好きなので、今までどおり無理なくやっています。
——自分の軸を持つことが大事なんですね。金朝師匠は、どのようにして自分ならではのスタイルを磨いていったのでしょうか。
金朝 落語に打ち込むのは当然のこととして、若い時分に読んだ赤塚不二夫先生の本に、手塚治虫先生から「漫画から漫画を学んではいけない。何でも一流のものに触れなさい」と言われたというエピソードが書かれていて、なるほど、これを真似しようと。そんなことで、バレエ、オペラ、歌舞伎、能と、いろいろ見に行きました。美術館や博物館にも通って、本もいっぱい読んでね。若い頃は衣装や道具にも凝ったし、食いものにしたって奮発して懐石料理を食ったり。
——そんな余裕はなかったにもかかわらず(笑)。
金朝 そうそう。でも、今思うと若い頃は楽しかったな。特に、仲間の存在は大きい。一緒に前座修業をした連中とは、楽屋で虫けらのごとく扱われた時代を助け合ってきましたからね(笑)。バーンと売れた奴もそうでない奴も、皆等しく得難い仲間です。互いに所帯を持ったりして交流は少なくなりましたが、良い刺激を受けていますね。
——JBFもある種仲間とつながる場です。異業種がほとんどですが。
金朝 私も、下積み時代に住んでいた西早稲田の飲み仲間といまだに仲が良くて、その連中がやっている店で落語会をやったりしている。それが結果的には新しい落語ファンの獲得につながっているかもしれない。損得抜きで、気が合う、ってのが一番大事な気がします。
——なるほど。金朝さんは噺のプロですが、日常のコミュニケーションにおいて何が大切だと思いますか?
金朝 師匠に言われたのは「人の悪口は言うな」と。人の失敗をネタにする芸人もいるけど、「ああいうのは良くない、困った時に誰もお前のことを助けてくれなくなっちゃうよ」と教えられました。その代わり、自分の失敗をネタにしなさいと。
——金言ですね。ちなみに、金朝さんの失敗エピソードは?
金朝 たくさんありますけどね、そうだなぁ。私の通っていた高校は、林間学校の宿泊先が伊豆の真鶴でして。師匠も真鶴出身と聞いたので、温暖なところで育った人なら優しいんだろうなと思って入門したら、これが大間違い。師匠は京都の舞鶴出身でした。芸はきっちりしていたけど、冬の日本海のように厳しい人でしたね(笑)。
——上手い! こうやって自分の失敗をネタにするのですね(笑)。
金朝 そうそう。あのね、落語ってみんな哀しいんだ。番茶を煮出したのをお酒だって言ったり、沢庵と大根の御香香(おこうこ)を玉子焼きと蒲鉾だって見栄張ったり。そんな暮らしの哀しみを泣くのではなく、考え方や話し方一つで面白おかしく笑い飛ばしていく。目の付け所を変えれば違う世界が見えてくることは、たくさんあるんじゃないですかね。
四代目 三遊亭金朝 / Sanyu-tei Kincho
噺家
1975年生まれ。1998年6月、三遊亭小金馬に入門。前座名「金兵衛」。2001年11月、二ツ目昇進。2013年9月、四代目三遊亭金朝を襲名し真打昇進。寄席の出演のほか、精力的に落語会を企画・開催し落語の面白さを広く伝えている。
https://twitter.com/kll_cg
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