見出し画像

カラマツ 〜冬に眠る針葉樹の、ガッツ ある一面〜



秋の北海道をドライブしていたときのこと。十勝から富良野方面へ抜ける国道38号「樹海峠」を通りました。
その名前通り、広大な樹海の中を突っ切る峠道で、周囲は一面カラマツの植林地。ちょうど紅葉のピークだったらしく、カラマツたちは見事な黄金色に染まり、それはそれは幻想的な景色を作り出していました。山々が金色の絨毯となり、西日に照らされる……。
あの見事な景色は、カラマツにしか作り出せないでしょう……。

神戸市高山植物園のカラマツ。暖地に植栽された個体は、やはりうまく紅葉しない…


日本唯一の落葉針葉樹


門松のマツしかり、クリスマスツリーのモミしかり、針葉樹は基本的に常緑(冬でも葉をつけっぱなし)です。しかし、カラマツだけは頑なに落葉性を守っています。だからこそ、僕が樹海峠で観たような見事な黄葉を披露してくれるのです。
ではなぜ、カラマツは落葉するのか。
これには、彼の出自が関係しています。

カラマツの葉。本線の枝から分岐した短枝に、束状に針葉がつく。
落葉性なだけあって、葉の質感は柔らかい。
北海道仁木町


日本産カラマツの祖先の針葉樹は、もともとシベリア付近に分布していたとされています。シベリアはかなりの高緯度なので、冬には極夜となり、1日中太陽が昇りません。つまり、光合成が一切できない。そんな条件で葉をつけたとしても、栄養分を浪費するだけです。
カラマツの祖先は、「じゃあいっそのこと休眠してしまえ」と考え、落葉樹になる選択をしたのです。

落葉期のカラマツ。枝ぶりが美しい。


やがて氷河期が訪れると、カラマツの分布域は南へ拡大。現在の日本に当たる地域にもカラマツが進出するのですが、温暖化が進むと再びその分布は寒冷地へと後退してしまいます。結果、日本に生育していたカラマツは、冷涼な亜高山帯に取り残されることに。
しかし、シベリアで獲得した落葉性は、日本に居を構えてからも保持し続けたのです。

カラマツの球果。


海外出張


冷涼な気候を好むカラマツは、天然の状態だと中部山岳の標高2000m付近まで分布します。寒冷地が得意なメンツが多い針葉樹の中でも、トップクラスに寒さに強いのです。
また、カラマツは典型的なパイオニア樹種で、痩せ地でもよく育つ。北国では、高速道路脇の法面などで若木が育っているのをよく見かけます。

青森空港に向かうバイパス脇には、カラマツがわさっと茂っていた。北国だなあ、と感じる光景。


上記の性質が買われて、カラマツはスギ・ヒノキが生育できないほど寒冷な土地で、造林樹種として利用されるようになりました。いわば「代打」です。
カラマツ天然分布の中心地である長野県では、江戸時代末期〜明治時代中頃にかけて、先進的なカラマツ造林技術が開発され、さかんに植林地が造成されました。長野県で生産されたカラマツの苗木は、「信州カラマツ」として、1870年代〜1900年代に北海道へと運ばれ、たちまち開拓地での主力造林樹種に。農業が思うように進まない厳しい土地ですくすく育つカラマツの姿に、開拓民たちは希望を感じていたのでしょう。

樹海峠で悠々と黄葉を披露するカラマツを見ると、彼の故郷が北海道であるかのように錯覚してしまいますが、意外にもカラマツが道内に上陸したのは今からたった150年前なのです。

カラマツの植林地。
長野県白馬村

さらに、信州カラマツ苗は北海道のみならず、樺太、日本統治時代の朝鮮、満州などにも輸出され、現地での造林の要となりました。朝鮮半島には、現在でも広大なカラマツ林が残されています。
1880年代〜1890年代にかけては、ヨーロッパにも信州カラマツが輸出され、イギリス、ドイツ、オランダ、デンマークなどで、数万ha規模の造林がなされました。

スギやヒノキよりも厳しい気候への適応力が高いカラマツは、世界中の亜寒帯地域へと出張し、19世紀初頭の造林を支えていたのです。

黄金時代、そして衰退


大量に造林されたカラマツは、日本では主に鉄道枕木、炭鉱の坑木(坑道の岩盤を支え、落盤を防ぐための柱)、電信柱、工事用資材等の材料として利用されました。カラマツ材は堅牢なので、耐久性・信頼性が重要な社会インフラの用材に最適だったのです。

戦後間もない1950年代は、カラマツ材の黄金期でした。
当時は、戦後復興の一環で土木工事がそこかしこで行われていた時代。強度のあるカラマツ材は、足場丸太、杭、橋梁用材として積極的に利用されたのです。40年生のカラマツ丸太が、1本1万円(当時の大卒初任給とほぼ同じ)で取引されることもあったんだとか。
この時代、北海道の炭鉱会社が、坑木の需要を見越して新たに広大なカラマツ植林地を造成したという記録も残っています。

新緑の時期の、カラマツの植林地。
青森県十和田市

しかし、カラマツの黄金期は長くは続きませんでした。1970年代後半になると、次々と炭鉱が閉鎖され始め、坑木の需要が大幅ダウン。さらに、電信柱や建設用足場の材料も、木材から鉄鋼・コンクリートに転換され、ここでもカラマツはお役御免に。
結果、カラマツ材の出番は激減してしまいます。
植林された大勢のカラマツは、伐採されずに放置されることになるのです…。

上の写真(↑)は、カラマツ林の地表。大量の落ち葉が溜まっているのがわかると思います。
カラマツの葉は、スギやヒノキの葉と同じく微生物に分解されにくいため、腐葉土形成の助けにはなりません。カラマツ林の林床で、他の植物が生育することは非常に困難なのです。

林床植生が貧弱な放置カラマツ林が広大な山々を覆っているのは、生物多様性の損失につながる、として、近年北日本の野良カラマツたちが非難の矢面に立たされています。
この問題を解決するには、野良カラマツをなんとか利用する必要があるのですが、カラマツ材には、ねじれや節が生じやすく、板材や建築材には不向きです。さらに、ヤニも多く含むため、パルプとしての利用も難しい。
こういった課題を克服し、カラマツ材の利用を促進する取り組みが各地で進められているところです。

富士山のカラマツ天然林


最後に、カラマツが好きな人向けに魅惑のカラマツ天然林をご紹介したいと思います。
カラマツ自体は、寒冷地でたくさん植林されているので、北東北、信越、北海道あたりに行けば簡単に会うことができるのですが、天然のカラマツとなると話が別。
前述の通り、天然カラマツ林はかなりの高海抜地に成立するため、どうしても過酷なアクセスを強いられるのです…。しかし、高山で逞しく生きるカラマツたちの姿は、苦労してでも見る価値がある。

富士山五合目の広大な天然カラマツ林。


八ヶ岳、上高地、御嶽山などなど、天然カラマツの名所はいくつか存在するのですが、僕が行ったことがあるのは富士山五合目。
ここでは、暴風雪の影響で矮性化(本来の樹高より大幅に低くなってしまった状態)したカラマツを見ることができます。

地面を這うように生育するカラマツ。

高原地帯で颯爽と幹を直立させるカラマツたちに見慣れてしまうと、富士山のカラマツを見たときに「どうしたのお前‼︎本当にカラマツ?」と拍子抜けしてしまいます。
標高2000mを超える上、強風が絶えず吹き付けるような環境では、彼も樹形を臨機応変に変化させざるを得ないのでしょう。

風にたなびくように枝を1方向に伸ばすカラマツ。
風の通り道に、でっかいスロープが出来上がってる…。

暴風によって地面に叩きつけられても、逞しく生き延びる姿には、感動を覚えずにいられません。
北海道、北欧、満州と、故郷から遠く離れた世界各地の寒冷地に連れて行かれても、その度に活着し、人間に重宝されてきたのも、彼のタフな生態があってこそなのです。

富士山のように、土石流、噴火などといった大規模な撹乱が起きやすい場所では、
カラマツのようなパイオニア樹種が圧倒的優勢になる。
ここまで広大なカラマツ群落が広がっている場所は、珍しい。

<カラマツ 基本データ>


学名 Larix kaempferi
マツ科カラマツ属
落葉針葉樹
分布 本州中部の高海抜地 (蔵王山〜白山にかけて)
樹高 30m
漢字表記 落葉松、唐松
別名 ラクヨウショウ、ニッコウマツ、フジマツ
英名 Japanese Larch


いいなと思ったら応援しよう!