言われて嬉しかった言葉
がん発覚直前の生検を受ける辺りから、極僅かな信頼できる友人達にがんの可能性を話した。
その時から手術に至るまでの間にかけてもらって嬉しかった言葉を書き留めておきたい。
「大丈夫だよ」
これがやっぱり最強だった。
何がどう大丈夫になるかわからない中でも、最終的に何とかなるとどこかで思ていたのもあって、この言葉がとてもありがたかった。
ひとつ言っておかなければならないのは、私にとって「大丈夫」の定義が広いのが功を奏したかもしれないと言うこと。
語弊を恐れずに言うならば、私は「死んでも大丈夫」だと思っている面があり、基本的にどう転んでも「私にとって最善最適なのだ」と受け止めようと努める。
人間は不死身ではないし、いつか必ず死ぬ。
なので、死ぬことが100%「悪いこと」だと思っていないのだ。
(これについては改めて記したい。)
そんなことも手伝って、全てが大丈夫で、これからも大丈夫であり続けると自分に言い聞かせるのに、周囲からの「大丈夫だよ」が効いた。
「よくがんばったね」
人生の中で褒められる経験が極端に少なかった私にとって、これは嬉しかった。
私にとって極度の苦痛の連続だった中、頑張りを褒められるのは、こんなにも嬉しいものかと貴重な体験だった。
病気がきっかけと言うのがもどかしいが、頑張ったことを認めてもらえて、自分でも「私、頑張ってる!!」と胸を張って言えた。
今までもだいぶ頑張ってきたことはあったが、結果が伴わなかったりもっと頑張れたのではないかと言う疑問が付き纏い、自分の頑張りを認め切れなかった。
でも今回は違う。
本当に頑張っている!!!
自分でも出来過ぎだと思うくらい頑張れている。
なので、「よくがんばったね」と言われるのは、素直に嬉しい。
「何かあったらいつでも声かけて」
この私自身もよく言っていたありふれたフレーズが、本当に身に染みた。
ごく親しい友人にしか状況を知らせていない中、社交辞令ではないこともわかっていたので、安心感が違った。
その上、私から救いの手を求める前に、みんながみんな私の様子を伺うメッセージを送ってくれたので、こちらから話を聞いてほしいとリーチする必要がなかった。
それも精神的負担を軽くしてくれた。
誰に言われるかとタイミングが重要
こうして言われて嬉しかったことを並べてみて思うのは、誰が言ってくれたかが大きいと言うこと。
どれも相手との関係性の深さと信頼があってのことなので、無闇に言えば良いと言うものでもないだろう。
私の場合、みんながただただ気にかけてくれていることが嬉しかった。
またタイミングも絶妙で、「いつ生検?」などと、いつ何が起きるかを訊ねてくれて、その度にメッセージをくれる友達もいた。
例えば生検の日、これから行ってくるよと返事をすると、その後何度も「大丈夫?」とか「頑張れー!」とメッセージをくれて、生検で病院を訪れている間も寄り添い続けてくれた人が家族以外に2人も居た。
いくつかの検査の合間合間にやり取りをして、和ませてくれた。
私自身、友達に何かあった時、前向きになれそうな小難しいことを言っていたけれど、自分がこうなってみてシンプルに寄り添う言葉がベストだなと思った。
がんになったことで、自分の中に変えなければならないことがいろいろあると既に気づいていたし、ネガティヴには考えていなかったので、次々とやってくる苦手なことを乗り越える勇気と、乗り越えた時にねぎらってもらえることが重要だった。
私の友人達がこのような状況にならないことが最善だが、万が一が起きた時には、ただただ寄り添いサポートできるだけの器を備えた人間になっていたいと願う。