夢を叶えるキラキラが、眩しくて辛くなったら
やりたいことを見つけて、挑戦して、夢を叶えていく姿って、とってもキラキラしていて、素敵ですよね。
いいな、羨ましいな。
私もあんな風になりたいな。
そんな風に思える時は、まだ心が元気。
だけど、だんだん心が疲れてくると、「羨ましい」が「妬ましい」になって、挙げ句の果てにちょっとした失敗を願うようになる、なんてこと、ありませんか?
そして、そんな自分を嫌悪する。
それに比例するように、輝いている人はますます光を増して…眩しくて、目を背けたくなってしまう。
そんなときが、訪れるかもしれません。
そうしたら、思い出してほしいことがあります。
私たちは、もとはみんな、たったひとつの源の光であったということを。
たったひとつの源の光は、いろんな経験がしたくて、いくつもの魂に別れてこの地球にやってきたということを。
だから、私たちが普段、「他人」だと思っているその人たちは、実はわかれた魂のうちのひとつであるということを。
だから、すべての人は、みんな、「私」なのだということを。
それらを思い出したとき、私は誰かを羨む必要も、妬む必要もないことに、気が付きませんか?
だって、みんな「私」なんだもの!
この世界にはいろんな人がいて、いろんな考え方をして、いろんな経験をしている人がいます。
皆それぞれに異なる人で、良い人も悪い人もいます。
それぞれの個体に入った「意識」は、完全に別物で、その個体のまま同じ経験や感覚を共有することは、おそらくほとんどないのでしょう。
けれど、もとはおなじだから。
私の代わりに、その経験を選んでしてくれている人がいるのだとしたら、なんてありがたいことなのでしょう。
私の代わりに、あらゆる分野で成功し、あらゆる感情を経験してくれているみなさんのことが、愛しくてたまらない気持ちになりませんか?
この、大いなる源の記憶は、すべての人を応援したくなり、すべての人に感謝をしたくなる、最高の記憶です。
もちろん、妬む、という負の感情だって、あなたの魂が経験してみたくて感じた感情の一部ですから、その感情を否定しなくて大丈夫です。
感じてみて、これは嫌だな、あまり自分には必要のない感情だな、と思ったら、「感じさせてくれてありがとう、もう必要ないよ」と、スッと手放してしまえるものです。
どんなネガティブ感情も、それを感じたことがあるからこそ、自分の喜びを深く理解することができたり、人の痛みに優しく寄り添うことができる、大切なギフト。
日の光を浴びない土の中の種であった頃の記憶、雪の下で寒さに耐え忍んだ頃の記憶、芽吹きはじめ、様々な協力者を得た頃の記憶、花を咲かせ、風に吹かれた時の記憶、雨に濡れた時の記憶…。
そのすべてが、大切な記憶であることは言うまでもありません。
どんなに醜いと呼ばれる感情でも、どんなに苦しいと感じる感情でも、そのすべては、愛と喜びと同じく、何も知らなかった魂がそれを体験してみたくて感じたもの。魂にとっては、喜ばしい体験です。
だから、ネガティブを感じてしまうことを、責めないで。
それも大切なあなたの一部。
あなたの幸せが、私の幸せです。
心から、愛を込めて。