見出し画像

普通という幻想

「なんでT君と遊んじゃいけないの?」
「あの子ちょっとおかしいじゃないの、そういう変な子とは遊ばないで!
 それと、もう家の中にも連れてきちゃダメ!わかった!?」

私を嫌うかのように、叱責する強い口調で、私に言った。
私は泣いた。なぜ泣いたのだろう。

私が悪い事をしたから?
お母さんに叱られて嫌われたと思ったから?
T君と、もう遊べないことが悲しかったから?

T君は他のクラスメートとはどこか違う雰囲気を持っている。
無口で、不愛想。何を考えているのかが分からなくて、近寄りがたい、
不気味な存在。「ちょっと変な子」というレッテルを貼るには十分だった。
そのため、よく仲間外れにされたり、いじめられることもあった。

私は、物静かでおとなしい。恥ずかしがり屋で、人見知りで、臆病。
集団で遊ぶよりも、独りでぼーっとすることが好きだ。
教室の席は最前列。しかし、授業に集中することは大の苦手。
教科書を片手に、教室中に響き渡る大きな声で教鞭をとる先生を目の前にして、私は独り妄想したり、ノートに落書きしては消して、ねり消し創作を楽しんだ。

そんな私にも、仲の良い友達がいる。H君だ。
彼は成績優秀、運動神経も抜群。おまけに、学級委員というクラスのまとめ役で、いつもキラキラ輝いている。言わずと知れたクラスの人気者だ。

いつ頃からだろうか。H君はいつも私を気にかけ、慕ってくれた。
そして、私もまた彼を慕い、一緒に遊ぶようになった。
彼の家でゲームで遊ぶ時もあれば、私の家でミニ四駆などで遊んだ。
私たちは親友になった。
礼儀正しく、明るい人柄なので、私の両親もすぐに彼を受け入れた。

お母さんは、彼のことを知っているようだった。彼女は、母親同士のネットワークを使って、我が子の交友関係やクラスメートのことを色々と調べることが好きだ。H君は、母親たちの間でも既に好評だったのだ。
そのためか、お母さんもまた、我が子とH君の関係を喜んでいた。

いつ頃からだろうか。いつも通り独りで不気味な存在のT君を、私は気にかけるようになった。クラスの誰もが近寄らず、孤立している彼を。
この教室の空間は、まるで音の出ない鍵盤を備えたピアノのようだ。
一見、すべての鍵盤が生き生きと、美しく調和のとれた音色を奏でてくれそうだ。しかし、1つだけ鍵盤の音は鳴らない。
鍵盤1つ鳴らずとも、使わなければ問題ない。
そう言わんばかりに、何事もないかのように演奏は続く。

どこか調和の乱れたこの空間を、私は心地悪く思うようになった。

それから、私はT君に話しかけるようになった。私が彼と仲良くすることで、すべての鍵盤の音が調律された、完全なピアノに生まれ変わることができるような気がしたからだ。

彼は無口で不愛想の印象が強かった。
しかし、話をすると、声に出して笑ったり、時折嬉しそうな笑顔を見せる、
ごく普通の男の子だった。
彼と私は少しずつ交流を深めた。
私は彼の家に遊びに行って、よくゲームをして遊んだ。
家で遊んでいるときの彼は、学校での彼とは全く別人だった。冗談を言って楽しそうに笑い、ふざけて家の中を駆け回っていた。こんな活発で元気な少年だったとは、全く想像がつかなかった。

彼は、嬉しかったのだろう。孤独だった世界で、新たな友情が芽生えたことを心の底から喜んでいるようだった。
私もまた、彼との友情を喜んだ。

ある時、私はT君を家に誘った。学校が終わった後、家で一緒に遊ぼうと。
T君が私の家に来るのは初めてだ。どこか少し戸惑った表情を見せた彼だったが、家に来ると言った。待ち合わせ場所と時間を決めて、私は家に帰った。帰宅後、部屋にカバンを放り投げ、すぐに待ち合わせ場所に向かった。待っていると、しばらくして、彼がやってきた。

彼はおぼつかない表情をしていたが、私は特に気にせず彼を連れて家に向かった。家に着き、私が靴を脱いで部屋を案内しようとした時だった。
私が振り返ると、彼は、玄関に足を踏み入れることをためらい、ずっとその場に立っていた。
「入っていいよ。」
私の言葉に反応し、彼は恐る恐る家に入った。

私は思った。彼はきっと、友達の家に遊びに行く経験がない。
彼は、まるで泥棒のように、音を立てまいと
そぉっと、ゆっくりと玄関のドアを閉めた。

家ではゲームをして遊んだ。遊んでいるうちに、彼は少しずついつものように笑うようになった。
しばらくすると、お母さんが部屋に入ってきた。二人分のお菓子とお茶を持ってきてくれた。
お母さんは、「どうぞ、ゆっくりしていってね」とT君に話しかけた。
しかし、T君はゲームの画面を見たまま反応せず、黙ったままだった。

数秒程固まったお母さんだったが、何かを諦めたかのような顔をして、部屋を出た。

この日を境に、彼と私の関係は大きく変わる。

何日か経ったある日のこと。
学校から帰った私は、明日T君の家に遊びに行くことをお母さんに伝えた。
彼女は、洗濯して乾燥し終わった服を畳んでいたところだった。
そしてその時、彼女から発せられた言葉に、私は耳を疑った。
「ねぇ、あの子と遊ぶの、やめて。」

空気が急に重くなった。この空気感を知っている。
何か過ちを起こしてしまった時に、彼女に叱責されるときの空気だ。

私は、何の罪を犯したのか。

お母さんは、真剣だがどこか冷淡な眼差しで私の目を見ていた。

なぜ彼女がこうした言動をとっているのか、私は理解ができない。
でも、T君と遊べないのは嫌だ。これだけははっきりしていた。
しかし、重たく冷たい空気が体中を包み込み、私の息を詰まらせる。
何も喋れない。むしろ、喋ってはいけない、早く逃げろと私の本能が語り掛けている。それでも、私はT君と遊びたかった。

そして、私は勇気を振り絞り、恐る恐るお母さんに聞いたのだった。


私は、泣きながらただお母さんに従うしかなかった。
T君のことを細かに説明して、お母さんの理解を得ることを
試みることはできたかもしれない。
しかし、臆病な私は、ただ従うしかなかった。
お母さんに嫌われたくない、この気持ちが大きくなるのが分かった。

翌日、学校が終わり、下校の時間になった。
T君が笑顔で私の元へやってきた。
「今日は何時に待ち合わせる?」

私は、無表情で答えた。
「ごめん。遊べなくなっちゃったから、今日は無理。」

少し驚いたT君だったが、続けた。
「じゃあ明日にする?」

私は、少し考えたが、どうすることもできないと分かっていた。
「もう、一緒に遊べない。他の子と遊んだらどう?」
冷たい口調と態度で彼を突き放した。

彼は、やはり悲しそうな表情となり、なぜかと理由を尋ねた。

母親が、君のことを普通じゃない子だと思っていて、
もう遊ぶなと言われたからだ なんて言えないことは理解していた。

そのため、とにかく無理なんだ と理由を告げず、
彼をただ突き放すことしかできなかった。

私は走ってその場を去った。
しばらく走って振り返ると、彼は、寂しげにその場に立ち尽くしていた。


こうやって私は大人になった。
同一的な普通を好み、普通の枠から外れるものとは距離をとるようにした。
そうすることで、親や周りの大人は安心し、喜ぶからだ。

両親、祖父母、学校の先生や塾講師、周りの大人は、子供を普通の世界に引き込むのが好きだ。常識、固定観念などの社会にある型に、我が子を当てはめることで安心感を得ているようだ。これによって、大人たち自身も
安心して型にはまった普通の大人でいられるのだ。

そもそも普通とは何を指すのだろうか。人の考え方や生き方は人の数だけある。みんな違って、みんないい。大人はそう言って子供たちに聞かせる。
しかし、実際は違いを嫌っているのは、大人だ。

普通なんて価値観は存在しない。価値観は人によって違うのだから。
みんな違って、みんないいのである。

世の中の大人がこれを学び、違いを認め、尊重する。
子供は大人を見て育つのだから、率先して大人が変わらなければならない。

普通という幻想から目を覚まし、自分らしさという価値観をもっと大切にしていきたい。





いいなと思ったら応援しよう!