胎動期の独白2 イメージという呪い
人間の一生は一つの線のように繋がったものだが、性格、人格は成長する毎に変化していく。確かに三歳の私と現在の成長した私は同一人物だが、どれほど人格に同一性があるだろうか。
三歳の子供と十五歳の子供は小児科の管轄だが、同じ人物でも三歳と十五歳の時の人格、人間性が全く同じ訳がない。様々な他社との触れ合いや経験に思春期を経て、芋虫から蝶のように、あるいはオタマジャクシからカエルほど変化している事も有り得るだろう。
少なくとも、三歳の頃の趣味を念頭に久々に会う十五歳の甥っ子や姪っ子のプレゼントを見繕う大人は控えめに言ってどうかしている。
母は物心や分別がつく前の私の行動を引き合いに、私の事を某国の独裁者の名前で呼んだり、わがまま気ままの後に私の名を様付けで嫌味たらしく付けたりするのを成長しても止めようとせず、何歳になっても三歳児くらいの時のイメージを引きずったままだった。
人間とは厄介な性を持っており、本人そのものではなく自分が受け取った印象。ひいて言えばイメージが優先されてしまい、たとえそれが誤解、曲解であっても一度定着したイメージを払拭するのは一筋縄ではいかない。
それどころか、イメージというのは実に厄介で都合のいいように形を変えていく性質がある。
いつしかイメージが実像を上回っていき、他人が一方的に作り上げたキャラ付けに支配されていることは実生活において多かれ少なかれ経験した方も多いのではないだろうか。
これは本来の自分自身とイメージが乖離するほど生きづらさに繋がっていくばかりか、そのイメージに沿った行動を押しつけられた歳月に比例して、訂正するのは困難になる。
また、そういったイメージを持っている相手が自分より優位な立場であるほど、歪んだイメージを改めて欲しいと訴える事は困難でな場合が多い。
特にいじられキャラなんて、芸人以外は何の有り難みもないイメージを他人に貼り付けるような人間ほど無神経で、どれだけ切実に胸の内を語っても話を聞かない。それどころか、本気になってと笑い飛ばす。
私も母にある面では、いじられキャラのイメージを持たれていた。ストレスがたまった時にいじって発散するおもちゃとして、私は異論な意味で丁度よかったのだろう。
急に私は橋の下に落ちてた捨て子で、実の子でないと言い出して泣いてうろたえている私をただただ面白がったりした。物置に閉じ込められ、扉が壊れたからずっとそこから出られないかもしれないと言われ、閉じ込められたこともあった。自由帳に書いたラクガキの内容を勝手に見て、その内容を弟の前で暴露して馬鹿にすることもあった。
他にもただ単純にイライラしているからと、理由もなく怒鳴られる事もあった。
それに、わがままで気ままというレッテルは私を責める罪悪感を軽減させ、年相応の自己主張をはねのけて自分の思想を押しつける格好の材料にすらなっていたのだろう。
母のイメージに同調して私を虐げる人間は他にもいた。
幼稚園の教員に母の高校時代の先輩にあたる人物がおり、この人物も母と気が合うだけあって同類で、かなりいい性格の持ち主だった。
私の通っていた幼稚園は建物が古かったのだが、ある時にトイレの内側から鍵が開かなくなった時があった。隣のトイレでも同じ事が起こり、その子はすぐに助けられたが、私一人だけトイレにわざと閉じ込め、うろたえる姿を見てせせら笑っていたのは忘れられない。
他にも危ないと言われて突き飛ばされた先にハチがおり、この教員のせいで刺されてしまった事もある。しかし、クソ女のお仲間なので悪知恵だけは働いたのだろう。お咎めなしで、私に落ち度がある事にされてしまった。
余談だがこのクソ教員の娘と私は同学年で、中学も同じだった。部活も同じだったのだが、会話すらした事がなかった。と言うか、部活中に一言も発しない空気のような存在だった。
私は諸事情あって遅れて入部したが、先に入部していたメンバーは同じ小学校出身者が多かった事を抜きに、それぞれの性格を考慮しても、かなりフレンドリーな子が多く既存のグループに溶け込むのが苦手な私でも難なく輪に入れた。
要するに、わざと輪に溶け込もうとしなかったとしか考えられないのである。
だが運悪く高校に進学した際、同じ中学出身者がこのクソ娘と私だけで、こいつは昼食の時間だけはぼっち飯を回避したいからと、私が自力で築いた人間関係の輪の中にずけずけ入ってきた。むろん、終始無言で誰とも仲良くなろうとする努力もしない傲慢なカスで、食事を食べ終えるとオタク仲間のところにそそくさ行く身勝手さで、親の人間関係を盾にずいぶん不快な思いをさせられた。
このクソ親子の現在に興味はないが、私以上に苦しんでないのなら不公平極まりない。お前らのことは今でも恨んでるからな。カス共が。
恨み言は置いておき、いじられる事に関しては十歳くらいで止まった。ある事がきっかけとなったからであり、私が行動を起こさなければいつまで続いたか分からない。
それでも母は怒りや不機嫌をまき散らして家の中を支配していたし、楽しそうにゲームをしている時は言いがかりを付けてくる事が多く、私よりずっと可愛がられていた弟ですら標的になった。
ちなみに弟二人は不機嫌には振り回されたが、私のような仕打ちは受けていない。
私は母にとってそういう存在であったし、隠していたノートまで勝手に盗み読み、暴露する母に耐えかねて仕返しに読んだ母の日記に現にそういう事が書いてあった。私をわざと虐げているのだと。
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