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胎動期の記憶3 母の日記 

母親はひどく卑しく矛盾した人間であった。 たとえば、あまり見られたくない秘密を書いたノートを引き出しの奥に入れていたのも勝手に見て、弟の前でも構わず内容を馬鹿にするので「親子でも他人は他人だ」と反論したが、「親子は他人ではない」と返す。 しかし、一方で「親子だろうと銭金は他人」だと言い、親の見栄で地元でもそこそこの歴史ある進学校に通ったものの、大学に通うのは贅沢でそのツケは本人が奨学金という借金で背負って然るべきという考えの持ち主だった。 母が高校生の頃は、今よりも優秀な

    • 胎動期の独白2 イメージという呪い

      人間の一生は一つの線のように繋がったものだが、性格、人格は成長する毎に変化していく。確かに三歳の私と現在の成長した私は同一人物だが、どれほど人格に同一性があるだろうか。 三歳の子供と十五歳の子供は小児科の管轄だが、同じ人物でも三歳と十五歳の時の人格、人間性が全く同じ訳がない。様々な他社との触れ合いや経験に思春期を経て、芋虫から蝶のように、あるいはオタマジャクシからカエルほど変化している事も有り得るだろう。 少なくとも、三歳の頃の趣味を念頭に久々に会う十五歳の甥っ子や姪っ子の

      • 今の母に思うこと

        私から見た母は大人になった今でこそ、「お子様ババア」で自分のことをサバサバしていると思い込んでいるが、救いようのないほど本質的には陰湿で障害とは関係なく性格の悪い人間である。しかもサバサバと書いた時点で予想の付いた方も多いと思うが、その性格の悪さに全く無自覚なのが本当に救いようがない。 ついでに子供の頃はひょうきん者のつもりだったのか、家の中で空気も読まずに笑いに繋がらない下ネタを連呼しており、幼い私や弟の空気が凍っているのもお構いなしだった。 しかし、そのサバサバしたひょう

        • 胎動期の独白 私と家族の話

          私の育った家庭は母方の祖父母と同居しており、そこに後に私と弟ふたりが加わった。 家族について触れておくと、母が発達障害であり、それから診断こそ受けてないが母を更に改悪した祖母も高確率で発達障害で、ひょっとすると何らかの障害を併発しているかもしれない。祖母に関しては後ほど触れるので今は割愛しておこう。 この二人が主な苦痛の種だったが、私から見て資産家でもなく美人でもなく、性格も頭も悪い女と結婚した祖父も父も控えめに言ってどこかずれた人であり、大人が家に四人もいながら誰も味方

          私が育った町の風景

          私が育った町は端的に言えば田舎だ。 ただ、田舎と言っても様々で、私の育った町は忘れがたき美しい故郷と言うよりも、ひたすら忌々しいクソ田舎である。 小鮒が釣れるような美しい小川もなく、ホタルですら姿を消し、田舎の美しい牧歌的な風景などまるでない。田舎らしいものとして田んぼならあったが、美しいと感じたことは一切なく、むしろ忌むべき田舎の象徴の一つであった。 電車はむろん、一時間に二本のみ。駅は廃村のかつて馬小屋だったものと言っても過言でなく、古い車両は乗り心地がすこぶる悪い。

          私が育った町の風景

          まず最初に

          最初に このnoteは人に読まれるためでなく、精神科の主治医に自分の過去を振り返ったりして感じたことや、いま現在の暮らしの中で見つけたことをまとめておくために作成した。 ただ、そこには「発達障害者を親に持った苦悩」が書かれている。 発達障害の人間については当事者やあるいはパートナーや、その親の目線で書いたものについては、世の中に最早ありふれているレベルにはなっていると言ってもいい。これは同じ悩みを抱える人を救うヒントが大いに世の中にあるということなので、良い傾向にあると

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