恋猫と【シロクマ文芸部】
恋猫と会えるのは、20分程度だ。
千賀子の足腰は年々弱くなっていく。立って、見ていられる時間はそれくらいが限界なのだ。
千賀子の恋猫は、近所のショッピングモールでショーウィンドウの中にいるアメリカンショートヘアだ。いかにも猫っぽい。元気で、やんちゃで、狭いショーウィンドウの小部屋の中でも飛び回って遊んでいる。そんな仔猫を見ているだけで、千賀子は気が紛れる心地がした。
千賀子は80になる。この年まで、他人と暮らしたことがない。
恋をしたことがない。もちろん結婚も、出産もしなかった。両親の介護という理由もあったが、なにより自身が積極的ではなかった。それ以上の理由はない。その両親も、もうこの世にはいない。
それゆえ、千賀子は孤独だ。
親戚もいなければ、友人もいない。知り合いと言える者もごくわずかだ。通っている病院の医師が、最近の千賀子が最も話をする相手なのだ。
病院の帰り、買い物がてらに寄った大型モールのペットショップで、千賀子は仔猫に心を奪われた。
仔猫は自由だ。
遊びたければ遊ぶ。寝たければ寝る。腹を立てれば怒る。甘えたければ甘える。
ガラスケースの内側で、仔猫は千賀子とまったく異なる生き様を見せつけた。背負った宿命が違うのだ。それに引き付けられて、千賀子は病院の帰り、いつもこの仔猫を見に来ていたのである。
何回通ったのだろう。千賀子は不意に不安になった。
今でこそ、この仔猫はここにいるが、この子が誰かに好かれてしまったならば、それっきり。会えなくなってしまう。
それは、幸せな家庭であるかも知れない。
仔猫は、幸せな家庭の小さな子供たちの友達になるのかも知れない。
子供たちと一緒に成長して、小学生の頃は一緒に遊ぶのかも知れない。
子供たちが勉強で忙しくなるころ、猫は年を取るのかも知れない。
そうして、子供たちが大人になろうとするころに、その身を以て、命の大切さを教えるのかも知れない。
そう思った千賀子は、仔猫を自分で手に入れた。
数日間、仔猫と一緒に過ごした。
仔猫は可愛らしい姿を存分に見せてくれた。
それから千賀子は近くの河原まで行って、仔猫を放してしまった。
完
「愛猫」ではなく「恋猫」。
「恋」というのは報われない、マイナスイメージのある言葉のように感じる。