【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』17
赤井海月の母親から「直接話をしたい」と学校に連絡があったとき、その担任、3年C組の樋口先生は部活動の関係で学校を離れていた。
安藤は、母親の来校予定を電話で樋口先生に告げた。
「平気平気。戻ってこなくてもだいじょうぶ。こっちで話は聞いておきますから。何が出てくるかはわかっているし。」
笑い声を上げて余裕の様子である。
生徒本人、赤井海月と話したのは、樋口先生を除けば安藤とあたしだ。自然、安藤とあたしで母親の対応に当たることになった。時刻は17時である。
既に終業時間を過ぎているが、そんなものはあってないようなものなのが教育の世界の常識であるらしい。
赤井海月の母親は、18時にやってきた。
あたしは、どんな人物なのか興味があった。
「くらげ」としか読めない「海月」の字を娘に使う母親。
その海月が物心もつかぬうちに自分は離婚をして、後で作った彼氏が中学二年の海月に手を出していることも気が付かない。
まさに、親の顔が見たいという状態である。
職員玄関に現れたのは、長い髪の下半分を赤く染めた、貧弱な身体つきの40がらみの女だった。ピンク色のカットソーにスキニーなジーンズを履いている。何の仕事をしているのか、まったく想像がつかない。というか、どういう仕事だとこの格好が通用するのだ?
とにかく化粧が濃く、耳にゴテゴテしたピアスがじゃらじゃらとついている。なるほど、海月の行き過ぎた化粧も母の影響と見えた。
安藤の対応は堂々たるもので、「遅くにおいでくださってありがとうございます」などと、まるで緊張感も出さずににこやかに対応し、さっさと応接室に入れてしまった。その後ろから部屋に入る。あたしも続いた。
「娘が、学校を辞めろと言われたそうですが。」
海月母は開口一番にそう言った。一瞬、あたしのほうも見たが、話の相手は安藤と決めたようだった。妥当である。
「ああ、お母さんにはそんなふうにお話したのですか?」
安藤は落ち着いたものである。おそらく、こういうやりとりは過去に何度も通り抜けてきているのだ。
「教室にいるのはふさわしくないと言われたと。そう聞きました。」
「ええ。私の考えとして、それは言いました。」
「どういう意味なんですか。」
安藤は一呼吸置いて、ゆっくりと理屈を述べた。
「学校ですから、海月さん一人で通っているわけではありません。
クラスには他の生徒がいて、それぞれに保護者がいるわけです。
息子、娘のいるクラスに、売春行為をしている生徒がいたら、同級生のお父さんお母さんはどう考えるのでしょう。
教室にいるのがふさわしくないというのは、学級、学年で見た場合の客観的な意見です。」
安藤は平然と述べたが、言葉からはその底に信念が走っているのもわかった。生半可な反論などは簡単に跳ね返すに違いない。
「それで、辞めろって言うんですか。」
「そのようには申し上げておりません。他の生徒、保護者のことを考えれば、教室にいることはふさわしくないと考えます。それだけです。」
「絶対に辞めさせない。」
「他の生徒、保護者のことは、どうでもいいとおっしゃいますか。」
このとき、安藤の言葉からは強い怒気が発された。言葉の発しかたは変わっていない。念がこもっただけだ。
あたしは安藤の話を横で聞いていて、怒りの強さに思わず涙腺が緩んだ。海月母も一瞬、次の言葉が出なかった様子だ。しかし、当の安藤は語気を強めたわけでもないのでケロリとしている。
「だからって、学校を辞めないといけないんですか。」
「そうは言っておりません。それは本人とお母さんで決めていただくことですから。」
安藤は再び、柔らかいが冷静な話しぶりに戻っている。怒りの感情を表現するかどうかは安藤自身がコントロールしているわけだ。言語能力、表現力がまったく違う。赤井海月の母が我儘を通すのは不可能に思えた。
「この学校の生徒なんですよ。教育を受ける権利があるじゃないですか。」
「それは学校の生徒全員が同じです。安心できる教室で健全な教育を受ける権利があるはずですよ。今回、そこを脅かしたのは海月さんではないですか。」
安藤は冷静に論じる。海月母はもう受けきれなかった。
海月母は自分自身がどんなに苦労して海月を育ててきたのか、この学校を卒業してほしい気持ち、などを長時間かけてつらつらと述べた。しかし、もはやそれは気持ちを述べているだけだった。30分ほど話を聞いたところで、安藤が言葉をさし込んだ。
「では、この件はおうちで海月さん本人と話してもらって、話がまとまり次第、担任に連絡をもらっても良いですか?」
それで、話は終わりだった。
あたしには安藤が理屈を通したように見えたけれど、職員玄関で海月母の後ろ姿を見送りながら、安藤は「うーん」と不満げな様子だった。
「あたしには、安藤先生の完勝のように見えましたけど。うまく行かなかったですか?」
「理屈は通したけどね。これで、『続ける』っていう回答がきたら、結局は解決しないわけだよ。で、『続ける』って言うだろうねえ。」
あたしにはその気持ちがうまく理解できなかった。あれほど理屈を通されても、まだ厚顔無恥にも「続ける」と言えるものなのだろうか。
結論はすぐにわかった。
あたしはまさかと思っていたが、翌日、担任の樋口先生に母から入った連絡は、「海月に学校を続けさせてほしい」というものだった。
つづく