胸がドキドキ
話しをすることが苦手であることは、noteを始めてから何度か書いてきたが、そんなぼくが20代の頃に正社員として働いた会社(3社)では営業事務職として働いていた。どうして話しが苦手なのにそのような職種を選り好んでいたのだろう?
就職活動に失敗し第二新卒で入ったサラ金会社では、まず大阪の店舗で営業の実践研修を受けることとなった。ロールプレイは何度も繰り返しやり、説明しなくてはいけないことは全て覚えた。しかし、いざ客を目の前にすると声は上ずり手は震え心臓は破裂しそうになる。サラ金にお金を借りにくる人は(少なくとも当時は)もうすでに借り慣れた人か、追い詰められてやむを得なく借りに来る人だ。不幸にもぼくの練習相手に選ばれたのは後者の方だった。こちらがそんな様子なので、客の方まで借りたお金に伸ばす手が震えてしまっている。これでは、ナニワ金融道ではないが、大阪の金貸しの店長にドスの効いたお叱りの言葉をいただいても仕方がない。
実際に、岐阜の店舗に配属され店頭に立つが、徐々に慣れてくるところか、ますます緊張するようになった。支店長判断で、裏方の仕事がメインとなった。
裏方は裏方で仕事内容はキツイものだった。客の情報確認のため、住宅地図で住所を調べ同じ苗字があればOKだが、違っていたり載っていなければ、隣近所の家の電話番号を104で調べて(当時はまだ携帯電話が普及していないので、固定電話が普通で、104をダイヤルするとNTTのオペレーターが住所から電話番号を探して教えてくれた)、宅配業社を装い「お近くの○○さんへのお届け物があるのですが、伝票に番地が書いてなくてわからないのですが、お分かりになりますか?」のような裏どりをしなくてはならない。
また、返済が滞っている人には月に何度も電話をしなくてはならない。それでも電話に出ない人には、自宅まで行って督促をする。
そんな毎日に心をすり減らし、半年間で退職することになった。
その後は、ホテルの夜間フロントのバイトをしばらく続け、正社員として働ける仕事を探して、幾つも面接を受けることとなる。
中には、詐欺まがいの英会話教材の販売会社だったり、日本に進出し始めたばかりのスターバックスなんかも受けたが、ことごとく落選。
自己アピールできるような大した経験もなく、資格も技術も特技もない。面接では呆れられたり笑われたりの惨敗続き。バブル崩壊後の不況は一向に抜け出す気配を感じさせず、完全な買い手市場。運転免許1枚しかないぼくに相手してくれる企業なんてなかった。
そんな中、なんとか入れたのは、強引な勧誘で有名な資格取得系の学校だった。
ここではまず、受講生獲得のために営業をかけていかなくてはならない。資料請求ハガキを送ってきた人に電話をかける「アポ電(来校してもらい講座を受講するように問い詰めるためのアポイントメントを取るための電話)」をとにかく掛け捲らなくてはならない。アポを何件取ったかも営業成績の一つとされている。とにかくこの電話がしつこい。アポが取れるまでそのハガキの主はリストから消されることはない。根負けして来校して話しだけ聞いて断ろうと思っても、そうは問屋が卸さない。来校させてしまえばこちらのものと、個別ブースに監禁し契約書を書くまで帰さない。
そのような手口の会社に、ぼくのようなチキンが馴染めるはずもなく、営業成績は常に最下位。年下の女性アシスタントマネージャー(直属の上司)に、「タカダさん、アポ何件取れました?」「面談、契約取れましたか?」「今月の売り上げ、どれくらい行きそうですか?」などと、毎日のように詰められる日々。
他の職員は、1件数十万の講座の契約を毎日のように数件獲得している。その一方で、ぼくは数万円の講座を月に数件。営業トークのスキルがないのは分かっている。上司を相手に度々、営業トークのロールプレイの特訓を受けるが、実際に受講希望者を相手にすると、導入の「アイスブレーク」と言われる、世間話すらできない。というか、知らない人と世間話など会ってすぐになんてできるわけがなかった。そして講座の説明はなんとかできたとしても、その講座を売り込むことが難しかった。
そもそも相手は、とりあえず話しを聞きにきて、他校とも比較をしてから決めるつもりで来ている。しかし、「話しを聞きにきたら必ず契約させるまで帰らせるな」というのがその会社の絶対命令。ぼくにはそこまで話しを詰めることができないことの方が多かった。毎日が針のむしろだった。1対1で営業トークをするのが日に日に苦痛になってきた。自然に普通の会話すら怖くなってしまった。
「タカダさん」と呼ばれるたび、ビクッとして心臓がバクバクと鼓動が早くなる。そして上司や同僚から話しかけられ会話をしても、しどろもどろで「もうちょっと要点をまとめて話してもらえませんか」と言われてしまい、頭の中に稲光が走り真っ白になってしまい、言葉が出てこなくなり固まってしまう。フリーズ。
もともと話し上手ではなかったが、もう世間話すら怖かった。声をかけられるだけで、鼓動が早くなり、身体が震えだし手が小刻みに震えているのを見つからないように両手を後ろに隠す。そして冷や汗が額にも背筋にも流れる。
もう限界だった。
結局、1年と数ヶ月で退職した。
そして、ハローワークの職業訓練で、「ホームヘルパー2級講座」を3ヶ月間受講して、介護業界に足を踏み入れることになった。
その時、すでに30歳になっていた。
余談:ぼくが勤めていた資格取得系の学校の当時のマネージャー(その校舎の責任者)が、受講生から受け取った受講料(現金)を着服し、勝手にローンの申し込み用紙を記入してローンを組んでしまい、着服した現金をギャンブルなどに使い込んでいた。初めのうちは、ローンの支払い期日までに振り込んでいたのでバレなかったが、とうとう振り込めなくなってきて、受講生の家へ督促の電話が掛かるようになってバレてしまった。当時、新聞沙汰になって、2ちゃんねるでもスレッドが立つほどだった。会社は刑事告訴を視野に動いてると、新聞報道にあったが、続報は報道されませんでした。(各校舎に本社経理直属の社員が1名いたのだが、共犯だったのか上手く騙していたのかは謎。。。)