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サブカル世代の憂鬱

中学2年の頃に出会ったバンドにより、日本のインディーズシーンに興味を持つようになった。
その頃には、いわゆるインディーズブームは始まっており、その後のバンドブームで有名になるバンドたちがライブハウスで活躍し始めたり、自主制作やインディーズレーベルからレコードやソノシートを出していた。
ぼくは、名古屋のライブハウスやインディーズを取り扱っている輸入レコード店や中古レコード店へよく行くようになっていた。
まだその当時にはサブカルという言葉は意識していなかったし、そのように表現される前だったのかもしれない。

高校生になって、宝島やDOLLなどの雑誌を読んでは、レコード屋でパンクバンドのレコードを買ったり、ライブをよく観に行っていた。
名古屋なので、もちろんTHE STAR CLUBは外せなかった。あと、原爆オナニーズモンスターズ。ニューロティカやグレート・リッチーズ、ストラマーズ、マグネッツ、イースタン・ユース、スワンキーズ、ダブル・ボギーズ、ザ・ポゴ、人生、ストリート・ビーツ、ジムノペディアなどなど。海外だと、ラモーンズ、エンジェリック・アップスターツ、SHAM69、コンフリクト、ディスチャージ、G.B.H.など。

漫画では、しりあがり寿やみうらじゅん、蛭子能収、久保キリコ、桜沢エリカ、岡崎京子、江川達也あたり。
小説だと、村上龍、村上春樹、山川健一、三田誠広、氷室冴子、太宰治、江戸川乱歩、中原中也、ヘッセ、ドストエフスキー、カミュなどを読んでいた。
映画は、WOWOWが観れたのでトリュフォーやゴダールなどのフランス映画を観ていたと思う。

大学に入ると、パンクはあまり聴かなくなった。バンドブームに嫌気がさしていたのもある。そして、日本の70年代の曲、例えば、はっぴいえんど、ジャックス、早川義夫、頭脳警察、小坂忠(とフォージョーハーフ)、つのだひろ、サディスティック・ミカ・バンド、細野晴臣、矢野顕子、佐藤奈々子など。アイドルは一番熱心に聴いていたかもしれない。増田未亜、田山真美子、中山忍、河田純子、西野妙子、里中茶美、奥永知子、佐月亜衣、星野由妃、井上麻美、田村英里子、寺尾友美、田中陽子、こんぺいとう、Cotton、CoCo、ribbon、Qlair、山口弘美、佐藤忍、高橋由美子、中江有里、中野理絵、花島優子、Lip's、BABY'S、杉本理恵、薬師寺容子、川越美和、小高恵美などきりがない。洋楽は、グランジがブームだったけれどリアルタイムのロック自体を聴かなくなって、スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲン、トッド・ラングレンや、アフリカのポピュラー音楽、香港ポップス、フレンチポップやマーティン・デニー、フランシス・レイ、バカラックなんかを聴いていたと思う。
映画は、相変わらずフランス映画が中心だったが、ジャームッシュやデヴィッド・リンチ、リュック・ベッソン、タルコフスキー、レオス・カラックス、キェシロフスキー、エリック・ロメール、パトリス・ルコント、ジャン=クロード・ブリソーなどばかりを観ていた。
漫画・アニメでは、パトレイバーやご先祖様万々歳など押井守作品や氷室冴子「海がきこえる」、ゴールデン・ラッキー、東京大学物語、ゴールデン・ボーイ、池田理代子「おにいさまへ・・・」、藤子・F・不二雄「SF短編」、萩尾望都、手塚治虫、あだち充とか。

そして、リリー・フランキーとの出会いが大きかった。まだ、今のように役者でもなく作家でもない、アイドルDJイベント「アイドル・ビート・マッシヴ(IBM)」の主催者としての「DJリリー」名義が一番最初だった。その次が、確かTBSの深夜のテレビ番組「マージナル・マン」内の『ユリ・サリバン・ショー』というB級アイドルを紹介するコーナーの司会者ユリ・サリバン名義だった。その後は、彼の描くエッセイを読み漁った。

地元へ帰ると、家の近所に「ヴィレッジ・ヴァンガード」ができた。まだ、全国展開する前の猥雑な雰囲気で怪しげな書籍やいかがわしいグッズなどが所狭しと並べられていた時代だ。まだ有害図書排除運動が盛んになる前だったので、いわゆる成人向けコミックスや「完全自殺マニュアル」などが平積みにされており、「危ない1号」や「GON」などの鬼畜系雑誌が揃っていた頃。
ヴィレヴァンのこの時代を知っていると、2000年代以降のファミリー向け大型雑貨店になってしまったのはとても残念だ。

おそらく20代の頃が、宮崎勤の事件やオウム真理教などの新興宗教問題があって、ちょうどサブカルブーム的な雰囲気になっていった時期だったと思う。
そして、リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」などが流行り、「ボーダーライン(境界性人格障害)」などの精神分析ももてはやされていた。
トランス・ミュージックやチャネリング、カルロス・カスタネダ「ドンファンの教え」などの精神世界が注目され、MDMAがまだ取締り対象ではなく、ケータイが普及し始めた時代。アメリカで「プロザック」が発売され、うつ病への薬物療法が抗精神病薬からSSRIへと変わり始めた時代だった。

そのような、ティーンネイジャーから20代を生きていたが、その頃から「生きづらさ」は感じていたが、まだ自分が発達障害であることを自覚するには時代が追いついていなかった。社会の中でもがき苦しみながら、いつも横目で「死」を見ながら訳もわからずに走り続けていたあの頃。
未来どころか、明日さえ見えず、フラフラとしていて、母は近くで見ていて危なっかしく思っていたことだろう。

そして、今でさえ母には迷惑をかけ続けているし、妹にも頼ろうにも頼れない兄だと思われているのだろう。
昔から、こんな自分が嫌で変わりたい変わりたいと思い続けていた。
だが、今も昔も何も変わっていない。ただ年々、年老いて衰えて、社会保障というセイフティーネットにぶら下がって生きながらえている。

未来はあるのか?明日はどっちだ?

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