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読書日記5(10/8)

独り言

ここ最近、生活スタイルを変えたせいでしょうか。
疲れがたまるようになってきました。
どうにか体力向上させ、健康を維持しておきたいところですが、やっぱり運動しかないのでしょうかね。
すっかり体を動かさなくなってるせいで、年々、「運動しなければなぁ」というのが口ぐせになっています。
しかし実は本を読むというのも、小説を書くというのも、体力勝負なので、そろそろ一念発起してがんばらなくてはならないかもしれません。でなければ太宰ではないですが、心身ともに憔悴して、早死にしないとも限りません。そうなれば夢に三島由紀夫がでてきて「乾布摩擦さえすれば元気になる!」と活を入れるやもしれないのです。作家としての三島由紀夫は好きですが、できれば関わり合いにはなりたくありません。
そんなわけでぼくは太宰と三島の折衷案で生きていこうと思います。
体力づくり、体力づくり……。

『しんせかい』(山下澄人)

たまに読書日記を書いている

山下澄人さんの小説『しんせかい』を読みました。156回芥川賞を受賞した作品になります。作者の山下さんは『北の国から』の脚本家として有名な倉本聰さんが始めた脚本家・俳優の私塾「富良野塾」の2期生として入塾した方で、元々俳優業・脚本業をやられていました。
自分でも劇団を創設し、小説を書くのとは無縁の人生を送ってきたようです。
そんな山下さんの書く小説は、いわゆる小説らしい小説とはまた違った趣があります。
文章はぶつ切れのような味で、それが人物の見ている視点、思考をめまぐるしく回り、まるで雪が積もるように、だんだんと積み上がって形が生まれていく。この文章もまた芥川賞を受賞したゆえんではないだろかと、稚拙ながら僕は考えています。
あらすじは以下のようなものです。

十代の終わり、遠く見知らぬ土地での、痛切でかけがえのない経験――。19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いたその先は【谷】と呼ばれ、俳優や脚本家を目指す若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、そして地元の女性と同期との間で揺れ動く思い。気鋭作家が自らの原点と初めて向き合い、記憶の痛みに貫かれながら綴った渾身作!

『しんせかい』Amazon商品紹介より

主人公のモデルになっているのは作者自身です。いわば私小説とも呼べるのかもしれません。しかし恐らくこれは脚色がありますし、当然フィクションとして楽しめるように書かれた小説だろうと思います。
実際に作者自身が言うところによれば、これは「遠く薄い記憶」だそうです。もう何十年も前の話。それを思い出そうとしながら、現在と過去を交錯し、物語として紡いでいった。
だからたまに、現在がまるで夢か幻かのように顔を覗かせるところがあります。それが一種の影となって、作中で漂い、時間と心の移り変わりをより鮮明に僕らに感じさせてくれるのです。
今作の面白いところは、主人公はまだ青年と呼ぶにも幼く、19歳の若者だということです。成人を迎える直前ではありますが、まだまだ大人にはなりきれていないところも多く、それは自分自身の心を知らない、という形で表現されています。
人は自分の心の在りか、本当の気持ちには気づいていないものです。そしてそれに気づいたときには、もう遅かったりもします。しかしながらそれが人生であって、前を向いて歩いていかなければならないのです。振り返ることはいつでも出来ますが、唯一できないのは、時間を越えて後戻りすることです。
『しんせかい』に踏み出した主人公を通して、そんなことを僕らに思わせてくれる、素晴らしい小説でした。

『石垣りん詩集 表札』(石垣りん)

このサイズ感がいい…!


石垣りんの詩集を買いました。普段、あまり詩集を読みこんでいるとは言えない僕ですが、ここ最近はレイモンド・カーヴァーをはじめとして、詩っていいなぁと思うようになってきました。
そこで書店に立ち寄り、買ってきたのが石垣りんと最果タヒです。
時代性のまったく違う詩人2人。
最果タヒのほうはまだ読み終えていないので、まずは石垣りんを紹介いたします。
例によって、まずは本のあらすじといいますか、説明から。

「自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる。」

石垣りんは、早くより東京・丸の内で銀行勤めのかたわら詩を書き、
一家六人の家族の暮らしを支え、太平洋戦争の頃には多感な二十代を過ごしました。
そういった生活苦さえも詩作の糧にしてしまうしたたかさを発揮して、
「表札」など文学史にのこる名詩を生んだのです。
世の中を鋭く観察した詩や反戦詩は、今生きる私たちに勇気を与え、また反省を促します。
2020年に生誕100年を迎え、装いもあらたに編み直しました。童話屋の詩文庫・決定版。

『石垣りん詩集 表札』Amazon商品説明より

代表作である「表札」をはじめとした、石垣りんの数ある詩集の中から厳選されたものを、ポケット詩集として読みやすいサイズに収めたものです。
ほんと、文庫本サイズだから、尻ポケットにも入りますし、バッグにも入れやすいです。
詩は電車に乗っているときや、一人で喫茶店でぼーっとしているときなど、家とはまた違う空間にいるときに読んでみるのが一興だと思います。
実際、僕も石垣りんの詩は、電車の中で半分ほど読み終えました。
特に記憶に残るのは、「表札」はもちろんですが、「雪崩のとき」、「儀式」など。
どれも女性の視点から見た、家族や、自己認識、アイデンティティを問う詩という感じがいたします。
戦争を体験した石垣りんだからこそ書ける詩も多く、年代によって味わいが変わっていくのもまた魅力です。
徴兵動員のための召集令状である「赤紙」を恐れる詩もあれば、年老いた父と再婚した義母との間の生活を、とても醜いと感じる生々しいものもある。
かと思えば、晩期の石垣りんの詩は、瑞々しくもあって、生へのエネルギーに溢れているとも思えます。
まるで彼女は、歳を重ねるごとに、若々しくなっていき、言葉の力が増していくようです。
そんな彼女の詩を読むことが、携帯・スマホが普及し、インターネットで世界中と常時繋がっていることが当たり前となった今の世の中で、むしろ僕にはとても眩しく、それでいて心地よく感じられます。
また折に触れ、読んでみたい詩集。
それが石垣りんの詩集でした。

購入本

  • 『石垣りん詩集 表札』(石垣りん)

  • 『死んでしまう系のぼくらに』(最果タヒ)

  • 『スピン 創刊号 文藝2022年秋季号増刊』

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