NEO HUMAN【書評★2】ALS患者の夢だけが語られる
★★☆☆☆
サイボーグ化により難病を乗り越えた人の話という触れ込みで手に取ったが、技術書や学術書ではなく、自分がいかに素晴らしいアイデアを持っているか開陳するだけの期待外れな一冊。最後には実現結果が見られるのかと思って読み進めるも、「俺たちの戦いはこれからだ!」というオチ。ビジョンは立派なのでちゃんと実現して2冊目を出してくれたらこの文体も我慢して読むと思うので期待も込めて★1にはせず+1して★2とする。
独特なスタイル
筆者がイギリスの上流階級でいることを強く憎んでいるが同時に自慢したくてたまらないというアンビバレントな感情が根底にあるのか、それとも1ページに1回は自慢をしないと爆発四散するのか、自慢が非常に多い。本書の二段落目にはもう自慢がはじまり2ページにわたって肩書の列挙が続く。
著者によると世界は常に自分を理解せず虐げてきたし、そのたびに力づくでわからせて来たから、今回の病気の事でも今まで通り病魔をわからせてやる事にしたそうだ。そのアイデアは悪くない。初対面の人に一発かますことことでその場における主導権を握ろうとする輩は珍しくもない。問題は、彼の敵が病魔なのか医療制度なのか医療従事者なのかあやふやなままマウントを取ろうとしているため、悲しいコミュニケーションエラーが起きている。
こんな感じで診察を受けながら「この疾患を疑った時に第1背側骨間筋をチェックするのは基本ですよね」みたいイキったレジデントが研修医向けにも言わないような発言を平然としているあたり、それが彼の普段のコミュニケーションなのだろう。
人を試す事や値踏みすることで必死に「自分は試す側、値踏みする側である」「誰かと上手くいかなくったのは自分の傲慢さではなくあいつが俺のお眼鏡にかなわないかったからだ」という守りにしがみついている。助けてくれる立場の医師に対してすらその態度ということは、本人はこの種のコミュニケーションしか知らずに育ってきたのかもしれない。
一人称視点としてのリアリティ
もちろんALSと診断されたら、自分はこれからどうなるのだろうかと思うのは生理的な反応だし、他人を慮る余裕がなくなるのは当然の事だ。そしてこれに輪をかけて、恐ろしい事実がある。
いろいろな事情があって(察しろ)大っぴらににはALSは認知機能が低下するとは広く示されていないけど、少なくとも脳や神経を専門とする者の中ではALSによる認知症は珍しいものではない。この種の認知症は前頭葉機能の低下として発症する。つまりは我慢や自制ができなくなる事、や衝動的になり社会規範の逸脱しやすくなる事だ。
作中では本人は認知症であることは否定している。しかし、文章を読む限り、そうやらそうではなさそうだ。
保険適応でもない手術を税金を使ってやらせようとしたり、そのリスクを医療機関が取る危険性を無視したり、自分と異なる主張をする人たちと対話せず抵抗勢力と一括にしたりと、やりたい放題である。もちろん職名も名前も出ている。(もしこの狼藉が前頭葉機能によるものでないとしたらメチャメチャ性格が終わってる事になる)
もちろん本作品では彼をサポートする人と同じくらい彼の元を去っていく人もいるのだけれど、この構図は今まで第三者視点では何度も見てきたが、当事者視点で見るのは初めてだった。
本人は多分何が悪かったとか夢にも思っておらず、助けてくれていた人が自分の前から消えた時に、今までの援助に感謝するのではなく、いなくなったことにただ当惑し、時に逆恨みする。ケーススタディではたまに聞く話だが、一人称視点で語られると妙なリアリティがある。
身体性から解放されるビジョン
この本に優れた点があるとしたら、それは彼が望むビジョンを明確にした事だ。ALS患者が不幸にはならないビジョン。それは
を実装する事だった。
ALSに限らず、自分の体の自由が利かない患者の苦悩は大きく分けて3つになるだろう。
1つ目は生命維持のための活動(嚥下や排泄)すら自力でできなくなる事。著者は医学の知識がないため、このビジョンには気管切開など軽く触れているのみであるが、それでも咽頭摘出まで行えば誤嚥性肺炎リスクは大きく減じる事ができるだろう。
2つ目はアウトプットできなくなること。
視線を読み取りカーソルを動かして意思疎通する方法はすでにあるが、これには膨大な時間がかかり、雑談をするのは現実的ではない。しかしスマホの予測変換がうまくワークしているように、会話を構成する大部分はある程度AIに任せる事はできるだろう。これをさらにAIに裁量を与える事でALS患者でも健常者に引けを取らない速度で文章を生成しようというのが筆者の狙いだ。
3つ目がインプットすること。
ベッドの上やあるいは居室の中で一生を過ごすのは退屈だ。もし、視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や触覚まで再現できるVRがあれば話は違うだろう。もちろん嗅覚の再現は難しいし、多分作者はそこまで深く言及していない。ただ、アウトプットのみならずインプットについても解決すべき問題として取り上げたのは先進性がある。
なろう系小説END
これらの問題を筆者がどう解決したかについての興味があったから、怒涛のような自慢を我慢し最後まで読み進めたが、結果は残念なものだった。結論から言うと、著者はほぼ何も成し遂げていない。違法な速度で走行できる電動車椅子を手に入れたくらいだ。製造元からは私有地以外でリミッターを外すなと言われていたのに、公道で法定速度を超過した事を自慢している。順法精神がバイト先の冷蔵庫に入る高校生未満か。
その代わりに最後の一章は「もしこれらのビジョンが実現した世界なら」という30年後のおとぎ話になっている。その世界は作者が少年の時から夢想していた剣と魔法のファンタジーなメタバースが世界的人気を博しており、その運営者たる大魔導士して主人公が君臨している世界だ。
なお、この世界観は作中何度も出てくるので、突如なろう系小説が始まる事の困惑は一回だけではない。
正直なところ広げまくった風呂敷がまったくたたむそぶりもなく終わってしまっている感想は否めない。著者が掲げたこのビジョンがどう実現していくかに興味があるため2作目が出たら是非読みたい。しかしおそらくは著者自身もそれが実現できないことがわかっているからこそ、なろう系小説や闘病記、自伝も全て一冊に詰め込んだ本にしたのだろう。
残念ながら、そうやってすべてを詰め込んでしまっても、誰もが楽しめる本になるどころか、誰にとっても中途半端な本になってしまった。