感想文が書けない
昔から”感想を書く”ことが苦手だった話。
小学校でも、中学校でも、感想を書く機会って意外とある。例えば、国語の授業で新しい作品に入る時だとか。
当てられた順番にがたりと椅子を引いて立ち上がり、1人一文ずつ読み上げてはまた座る。何度か音読が回ってくるとようやく作品は終盤に差し掛かり、そのあとは配られたプリントに初読の感想を書いて提出、授業終了。
余談だが、春に国語の教科書が配られるとほとんどの作品に目を通してしまうので、授業で読む時には展開を知ってしまっているのが常だった。同じタイプの人、いるよね?
皆がさらさらとシャーペンを走らせて、ものの5分もしないうちにプリントを手に教卓へと集まっていく。出した人から休憩に入るので、ごく簡単に書き上げる人もいれば丁寧に最後の行まで埋める人もいる。
私はというと、まだ一文字も書けていない空白を前に固まっていた。妙に手に汗がじっとりとしてきて、藁半紙のかさかさとした手触りが気持ち悪い。焦って、「私は…….」と書き出してみてもうまく続かない。消しゴムで擦っても綺麗には消えなくて、何度か書き直したことが一目瞭然のしわのあるプリントばかり提出していた。焦りばかりが募って、何度教科書を読み返しても”感じる”ことすら覚束なくなっていく。ただ文字の羅列とそれが意味するストーリーしか入ってこなくなってしまうのだった。
こうなるともう全くもって感想が無い。自分でも驚くほど無。虚無。仕舞いには何を書いても自分は本当にこう感じたのだろうかと疑いにかかっていくフェーズに入る。
チャイムが鳴った。
「書ききれなかった人は明日提出でもいい」と呑気な国語教師の声。
これには本当にほっとした。いかにもまだ書き足りないから仕方ないというような表情を浮かべて、何も書けていないプリントをそそくさと仕舞い込む。なんとか家で頭を捻らせて感想を書き上げるのだが、この猶予がなかった時は内心半泣きだった。バレていたかもしれないけれど、隣の席のプリントを盗み見たことが幾度もある。この場で懺悔します。ごめんなさい……
なぜ感想が書けなくなってしまうのか。そういえば、絵を描くのは好きなのに美術の授業の絵だって自由に描けなかった。熱があっても両親に言えなくて、いつも通り学校に行く以外の選択肢はなかったな。
私だってなんでこうなってしまうのかわからない。困っていることを打ち明けることすらできなかったのは、他者の前で素直でいればいるほどに不器用に欠けた自分の輪郭が明瞭になっていくようで恐ろしかったからだと思う。
井伏鱒二の「山椒魚」を思いだす。私は正に岩屋の影に潜み、静かに息をする山椒魚のようだった。
あの愚かな山椒魚は自分の身体が成長していくことを知らなかったはずがないのだ。覗き得る狭い世界だけを眺めて育ち、決して外へは出ようとしないで自意識だけを肥やしていく。その根底にはきっと怯えと不安があった。
そうして気がつけば誰のせいにもならない理不尽を思いがけず背負わされていた。普通だとか普通じゃないだとか、陳腐な言葉で表現するようなものじゃない。そもそも同じ人間は1人としていないのだから違って当たり前なのだけど。そういう逡巡を経ても尚、違和感としか表せないような何かを自分と他人の間に感じ、その溝はみるみる深くなった。
詰まるところ、私のような人が必要としていたのは自分という存在へのごく基本的な承認だった。でもそれは自分の輪郭という直視し難い現実を晒さねば得られぬものだったのだと思う。
誰だって無闇に肯定するだけが優しさではない。全く初対面の相手に「あなたはここにいてもよい」なぞ言われても納得しない。相手がどのような人だとか知った上で、どんなあなたでもいいと許されるのが存在の承認ではないか。他者に反応し、反応され、そうして初めて手応えを得るものなのだ。
岩屋から出ることすらできない山椒魚には、そこにいるだけの承認すらいつまでも受け取れないのだった。そりゃあもう、たいへん気がおかしくなります。冷笑も嘲笑もしたくなるのですよ。
自分のために書く文章をこうやって公開するようになったのは、私の輪郭を知りたいからでもあるのだった。私は私のために書く文章の中では不思議と自由でいられた。
今は自分が世界をどのように感じていて、それが自分の中でどのように文字に変換されていくのか眺めているのが楽しい。それを他人がどう受け取ってくれるかを見るのも楽しくて、嬉しい。
ここまで書いてみて、あれまたいつもと同じような文章になってしまったなと反省中です。もっと面白くて楽しいだけの気持ちも共有したいのにね。楽に息ができるところで、適度に息継ぎをしながら知らない淀みにまた泳いでいきます。頑張るよ!