スプラトゥーンで「自分の存在証明」をしようとしていた話
そもそも僕が対戦ゲームにハマったのは、「ゲームでなら自分を証明できるかもしれない」と思ったから。
運動は全くできないし、コミュ力も並以下。勉強は並程度にはできるけど、地元の公立中で真ん中よりちょっと上ってくらい。
幼馴染に抜群に勉強ができるやつがいたから、自分が別に頭がいいというわけでもないと自覚していた。
昼休みになれば、図書室にこもって歴史モノの漫画か小説を読むのだけが趣味の冴えない中学生。それが僕。
歴史モノの中でも、特に「日本の偉人」とか「世界の偉人」みたいな漫画が大好きだった。漫画の中で躍動する彼らは本当に眩しかったから。
自分もいつか歴史に名を残せるくらい何か大きいことを成し遂げてみたいな、なんて夢想しては、その理想とはあまりにかけ離れた現実を見つめてはため息をつく日々だった。
「特別な人間でありたい」っていう願望が強かったから、特別な人間、特に同年代の才人に強く嫉妬した。
ヴァーチャルシンガーの花譜ちゃんがデビューしたのも確か俺が中学生の時だった。
同い年がこんなに惹きつけられる歌を歌えるのかと衝撃を受けて、自分も誰かを惹きつける歌を歌えるようになりたいと思ったものだ。
友人たちと初めてカラオケに行ったときに歌が下手なのをバカにされて諦めたけど。
何も成せないまま、「一般人じゃない、何かすごいことを成し遂げる人になりたい」という理想と現実のはざまで揺れていた、そんなある日。
我が家のテレビにはたまたまときどさんの特集番組が映ってた。
ときどさんの格ゲープロになる経緯とか、ウメハラさんにあこがれたみたいな内容だったと思う。
当時の僕にはゲームで飯を食うなんて発想はなかったし、かつてのプロゲーマーへの逆風をはねのけて「プロゲーマー」の世間的地位を引き上げていった二人がすごく眩しく見えた。
こんな冴えない僕でも、運動神経も頭の良さも”すごくない”僕でも、ゲームなら活躍できるかもしれない。もしかしたら、僕も「すごい人」になれるのかも。
そんな淡い期待から、当時始めたばかりだった「スプラトゥーン2」にのめり込んだ。
当時、僕と同じくスプラ2から始めた友人は数人いたけど、その中では僕が一番上達が早かった。
というか、先に周りが飽きた。
それが理由で、「もしかしたら僕はスプラの才能があるのかもしれない」って勘違いして、どんどんスプラにのめり込んでいった。
やり込めばやり込むほど、井の中の蛙は大海の広さを知る。
やり始めて1年くらい経ってS+になるころには、自分にはスプラの才能がないことに気づいた。
でも、そう簡単には諦められない。
何故なら、自分にゲームの才能がないことを認めてしまったら、自分という存在を世界に証明する手段をまた失うことになるからだ。
もう俺にはゲームしかないと思っていた。
高校に進学してからは、友人と固定チームを組み、さらにスプラにのめり込んだ。
数少ない「並程度にできること」だった勉強もかなぐり捨ててスプラをやった。
最初、学年で20位だった成績は、2年の3学期には下から20位まで下がった。
スプラばかりやっていて課題をやる時間がないから居残りばかりしているし、夜中までスプラをやっているから授業中は居眠りばかりしていた。
先生からしたら、問題児この上なかったと思う。学年主任の先生には何回怒られたかわからない。挙句の果てに呆れられて、注意もされなくなった。
そうやってリアルを犠牲にスプラをやり続けて、それでも結果は出なかった。
最高XPは2400止まりで、チームで対抗戦をしても足を引っ張り続ける日々だった。
それでも諦められない。
勝つまでお金を入れ続けるギャンブラーみたいなもので、今までの自分を否定したくなくて、必死にゲームに縋りついた。
そうして高校3年生になって、大学受験のためにスプラから離れた。
ちょうど1年くらいのブランクを経て、地元のそこそこの国公立大になんとか引っ掛かって、受かってからすぐにスプラに帰ってきた。
たかが一年、されど一年とはよく言ったもので、僕はブランクを経てスプラが超下手くそになった。
自分の思うようにキャラを動かせない。エイムが思ったように合わない。
XPが盛れない。元のパワー帯まで上がれない。
元々感じていた劣等感や焦燥感にこのブランクが加わって、遂に心が折れた。
僕は誘われないとスプラをやらなくなった。その代わりに、新しい「やりたいこと」を探すようになる。
あんなにスプラに固執していたのに、心が折れてからは近寄らなくなったのは、結局スプラも「自分がここにいることを世界に証明する」ための手段にすぎなかったからなんだと思う。
スプラをやっててキツかったのが「反射神経とか細かいエイムとか肉体能力が足りないこと」だったから、頭脳だけで戦えるゲームを探した。
今まで遊びでしかなかったシャドバを本気で始めた。数少ない大学の友人とオフラインの地方大会にも出た。
でも、しょせん付け焼刃の実力でしかなかったから、地方大会の一回戦で普通にボコられた。
剣盾時代に瞬間3桁に届いたことを思い出して、ポケモンSVも頑張った。
でも、構築もプレイングもダメダメで、最終6万位でシーズンを終えた。
そもそも頭の回転が遅かったから、ゲームを変えれば済むという物でもなかった。
ここまで来て、ようやく僕は「(継続力なども含めて)自分にはゲームの才能がないのだ」と認めるに至った。
才能もないのに努力すらできない自分に心底嫌気がさした。
でも、頑張ったところで結果が出せる気はしなかったし、それなのに頑張る意味もないと思った。
そうしてすべてのゲームに対する情熱を失ってから、もう1か月になる。
スプラを諦めてからはもう7か月くらいは経っただろうか。
今やっているゲームは、通学時間にスマホでちょっとだけ遊べるシャドバくらいだ。
コミュニティの友達との接点を失いたくなくてヴァロラントを始めたけど、正直なところ彼らとの温度差はかなりあると思う。(一緒に遊びたいからやめないけど)
自分を証明するためのツールを失って、僕は世間から宙づりになってふらふらと揺れていた。
もう俺は誰かの人生のモブAとして生きるしかないのだろうかと、半ば絶望の淵に立たされているかのような心境で生きていた。
もうたまたま死んでないだけで、生きてないのと同じだったかもしれない。
そうして失意の底に沈んでいたある日、友人に誘われて映画「すずめの戸締まり」を見に行った。
友達付き合いのためについていっただけだったし、ただの暇つぶしではあった。
でも、その暇つぶしでただの付き合いだったはずの映画で、僕は心を大いに震えさせられた。
感動した、とかそんな安っぽい感情じゃなかった。
嫉妬と憧憬と絶望感が入り混じったような、闇鍋の中身みたいな感情。
自分でも何が何なのかわからなかった。
ただ、「自分は心を動かされたのだ」という事実だけが残っている。
帰りの電車の中で、半ば衝動的に感想記事を書きながら、頭では新海監督のことばかり考えていた。
こんなにも誰かの感情を揺さぶるものを作ることができるのが素直に羨ましかった。
そして、監督への尊敬の念と共に、「存在証明とは敵に勝つことだけではないのかもしれない」ということに気づいた。
誰かの心に残るものを作る。誰かの感情を揺さぶる。
それもまた自らがこの世界に存在したことの証明であると思えた。
ありふれた人生なんて嫌だ
普通の人になんてなりたくない
特別な誰かになりたい
頑張って「でも君は頑張ったよね」って憐れまれるのはもう嫌だ
「何をしたの?」と聞かれて、「何もしていない」と答えるのは嫌だ
”特別な誰か”になる方法は、ゲームに勝つことだけじゃない
足が遅くても、僕なりの歩幅で
”自分”を表現する
もしかしたら、普通に大学出て、普通に就職して、ありふれた人生を送る一般男性になるのかもしれない。
でも、それでも、僕は「特別な誰か」になりたい。
言葉にして、音にして、形にして。
どんな方法かはわからない。
でも、僕は今、何らかの形で自分が世界に存在した証拠を残したくてあがいてる。
自分の思いを、存在を形にすることができるようになれたらうれしいし、それが世界に認められるようになったらもっと嬉しいなって思う。