悩み
前書き
また読みにくい。
ちゃんと構成練って書く気力がない。あふれ出る思考をただ文章化するだけのケダモノになってる。
読んでほしい癖に読ませる気がないの本当に終わってる。
喜びがない~…
というのも
ここ最近頑張る理由だった自分の「夢」が、突き詰めると「逃げ」でしかなかったということに気付いてしまったんですよね。
どんな夢なのかは秘密なんですけど、まぁとにかく願望を実現するために頑張って生きようと思ってたんですよ。
投資を始めたり、(本を読んだり、ハードルの低い投信系から実際にお金を出してみたり)
簿記の勉強をしたり、(来月3級受験予定)
少しづつ前を向いて進み始めてはいたんですが。
ある時、ふと疑念を抱きました。
もしかして、僕の夢っていうのは、嫌で大変な現実から逃げたいという後ろめたい動機の夢なんじゃないかと。
まぁ具体的には説明しないんですが(頑固)、よくよく考えると僕の夢っていうのは「コミュニケーション」から逃げる夢なんじゃないかと思ったんです。
そもそもが不器用で「物事を楽しむ」というのが苦手な自分にとって、生きる意味というのは「自己実現」「自己表現」でしかないわけで
そこで「自己実現」に疑念を抱いてしまうと途端にただお気持ちポエムを垂れ流すだけの無産モンスターに逆戻りしてしまうわけです。
本当は日々の生活に喜びを見いだせれば良いのでしょうけど
何をしていても持ち前の完璧主義を発揮してしまい
手の届かないような目標を設定してしまって
本当は成長していてもそれをうれしいと感じられない
毎度毎度上手くいくわけではないですから
成長できなくなる、上手くいかなくなると物事に取り組むのがただの精神修行になってしまう
楽しめない自分にイライラし
自分の理想に届かないギャップにイライラし
届くわけがない夢を抱く自分にも、それに向かって努力しきれない自分にもイライラし
ただの修行と化した目標に縛られ 疲弊し
その目標を諦める選択をする
そして届かなかった自分にイライラする
一般論的な「完璧主義」にはいろいろと解決策があるんだけど
僕の場合
・理想主義、完璧主義を直す
→自分の可能性を狭める選択であると思う、だから嫌(特に選択肢のある今だからこそ)。
それに、理想というのは自分の原動力であり生きる理由でもあるから、それは”小さなことに幸せを感じる”というセンサーとセットで無ければ「生きる理由を失うだけ」になりかねない危険な解決策だと思う。
・小さなゴールをいくつも設定する、自分をほめる
→その小さいゴールを達成することに価値を見いだせない、だから自分をほめても嬉しくない
むしろ「なんでこんなしょうもないことができたくらいで嬉しがってるんだ」って余計イライラする
・楽しむ
→だからどうしろと 物事を楽しむセンサーが死んでしまったんだってば
なんかどれもしっくりこなくて治らなかった。
楽しむってなんだ、コミュニケーションってなんだ。
そこに真摯に向き合う以外に、俺が正道で生きる道はない。
かといって、道から落ちて生きることには、「圧倒的な”理想を実現するエネルギー”」と「物事に没頭する熱量」が必要。
疲れているって言い訳することは簡単なんだけれど、それは解決になってない。
自分が「楽しむ」ためのセンサーが死んでしまっている(もう死ぬまで何も楽しめず理想の奴隷として生きなければならない)ことに絶望し、
さらに理想の奴隷として生きながらえる体力も持ち合わせていない 根性もない
その事実に打ちひしがれ
理想のためにも、目の前の楽しさにも生きられないのに何故私は生きているのか?
そう思うわけです。
死にたい。
ちょっと頭冷やして考えるなら、「逃げた夢でもそれが自分を前に進めるなら何もしないよりいい」と言えはするんですが、正直まだ腹落ちしてないです。
考えるの嫌になってきたのでもう一回現実逃避してきます。おわり。