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マンガ1ページ分の1年
あけましておめでとうございます!
デアですo(o|o)/
年末に差し掛かり、あっという間に過ぎた1年を勝手に振り返りたいと思い、筆を執りました。(もう年が明けてました)
といっても今年は就活、就活、バイト、研究、就活、就活….のような感じでして、ほとんど1年を就活に使ってました(o|o;)
結果は、就活がうまくいかず、就活鬱を患ってしまいました。
また、本業のサイエンスアートの探究は大学院の研究にあたるのですが、論文が思うように書けず、打ちのめされています。
このような絶望的な状況を踏まえて、言えることはただ一つ。
作りたいものが全て未完成で終わる。
その一部始終を紹介しましょう。
デアの未完成美術館、開幕です。
1. 脱皮するビン
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最初は脱皮するビンです。
こちらは大学院の研究の過程で生まれた作品でした。脱皮するビンと言っても皮が剥がれて全く新しい物が生まれるわけではなく、剥がれそうで剥がれない脱皮のもどかしさを表現しています。ビンの形をしたテープ風船に空気を出し入れすることで脱皮を表現してます。
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もし、この作品からビンが脱皮をしてコップになったとしたら面白くないですか。会社から疲れて帰ってきたサラリーマンがアサヒスーパードライの入った生ビールを脱皮するビンに入れて、脱皮する瞬間を眺めながら、熱で膨張したグラスが誕生する瞬間に立ち会った際にどのような気持ちになるでしょうか?
うん…気持ち悪いな
物は時間の概念を持っておらず、朽ち果ててしまいます。そんな人工物が人や生物と同じように成長し、脱皮のような明確な成長プロセスを踏んだとしたら親近感が湧くのではないかと考えました。物だって成長をして生まれ変わり、生命と同じく時間の要素を持っている。それがわかれば人と物の関わりはより近く変わっていくのではないでしょうか。
◆未完成ポイント
構想が一人歩きして現実にならない
この作品ですが、脱皮をさせる瞬間までしか制作できず、誰が見てもわかるような人工物の脱皮を見せることはできませんでした。結局、頭の中で思い描いているような昆虫を模した脱皮のさせ方はできず、入れ子構造のマトリョーシカのような脱皮のさせ方しかできませんでした。中の仕組みは色々と思いつくのですが、全て空振りになってしまい、異なる方向性で作品を制作し、仕方なく研究論文にまとめることになってしまいました。
ちなみに、未完成になってしまいましたが、私には理想があります。
物を通して抱く思い出には現在の自分のアイデンティティに合わせて都合よく編集される要素があるようです。いつか人の心の成長過程に同期して、姿や形を変えていく人工物を作りたいです。その人の過去から未来にかけて変わっていくアイデンティティのあり方を反映させて成長する人工物を制作します。
2.100社落ちの絶望
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お次は100社落ちた絶望感をMVにした作品です。就活で自分のアイデンティティを面接官に認めてもらえないやるせなさを表現しました。
映像の内容を軽く説明します。
序盤は死んだクワガタや骸骨を撮った映像。
中盤の映像は朝も夜も不採用が続いてベッドで寝込んでいる映像。
クライマックスは回転しまくって頭がおかしくなって自己のアイデンティティの損失に嘆く映像。
病んでるな...
私の中で最鬱ループに入った時のやりきれない感情を映像に全て詰めました。
エンタメ系の企業に入ることが自身のクリエイターとしての素質を認めてもらうことだと思っており、落ちるたびに反骨精神で受けることを繰り返してしまうのです。
その結果、受からないことがストレスとなり、起きた時にクリエイターではない自分が嫌になり、日常生活を送っていて目に映る全ての人間が自分を見下しているように見え、夜中は疲れで鬱になって映画に現実逃避をして、その映像を自分が関われないことがブーメランで刺さって苦しくなっていました。
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映像の中では何度もベッドから起き上がって、もがき続ける自分が出てくるのですが、どうにもできない鉄の芯を内蔵に入れられたような重くて苦しい感情を表しています。
◆未完成ポイント
感情で作って、歌と映像の構成が雑すぎる
単純に不採用になり続けるやるせない気持ちを思いつく限りの虚しい写真で埋め尽くしたため、視聴者が見ていて何を伝えたいのかわからない映像になっています。歌も即興で作って「面接なんて言い方次第で全て変わって、本当の自分なんて出さなくても良い」といった半分は正解で半分は間違っているようなことを吐露するなど、不完全すぎる出来にヘドが出ます。
AIなどを使って即興の歌を調律して、感情で繋ぎ合わせた動画をコンセプトを持って貼り直したいです。
3. 捨てられた傘と私
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最後に折れた傘に同情した話です。
就活で連敗しまくって打ちひしがれている時に家の近くに捨てられていた折れた傘に同情し、作品を作ることにしました。
雨を凌ぐために誰かを守っていたのに、何かをきっかけに使い物にならずに捨てられた。自分もクリエイターや研究者になるために活動に勢力的に取り組んだり、勉学や研究に勤しんだ。それが不合格や不採用によって自信をなくしてできなくなり、社会の使い物にならないゴミとして周りから見られている気になる。
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それらが同調して、折れた傘が自分になり、社会のゴミとして他者からの目線が傘自体にこびりつくようになった。やがて目で全体が覆われていく。別に、道を行く人々は折れた傘や自分のことなんて何とも思っていない。でも、なぜか衝撃的な出来事をきっかけに、自分だけが周りの目を気にし過ぎてしまう。
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映像の最後では知らない誰かが目で覆われた傘を拾い上げ、ニッパで目を一つずつ外していきます。自分も誰かに「そんなことないよ」、「今のままで良いんだよ」といった他者に受容されていくことで自分がつけてしまった誰かの目を溶かしていくことができました。
末期だね…
要は、折れた傘に同情するほど自分の心が病んでいるなと自認する作品を作りました。
◆未完成ポイント
そのまんますぎる
「折れた傘に目をつけて、それが社会から感じる自分でつけた目だよ。」
だからって、傘に目をつけまくるのはストレートに感情をぶつけているだけで面白くない。せっかくアートにするのであれば、もう一捻り比喩的に表現すれば、そのまんま感は消えるはず。AIに聞いてみるとこんな回答が…
傘の折れた部分に花や草などの植物を絡ませることで、生命の強さと社会の重圧の対比を表現する。植物が傘を突き破る様子を描く
社会からの重圧に負けじと植物の生命力を折れたところに補完し、それが見ている人にとって美しさに見えるようにする案はアートの比喩表現としてアリだと感じた。
目などのストレートな感情を伝えるパーツを使うのではなく、奥行きのある比喩的な表現を追求していきたい。そのまんま感のある説明的なアート作品を作りたくない。要は統合する要素が少な過ぎてアートになっていない。(統合し過ぎて主題が見えなくなるのも問題だが)
まとめ
マンガ1ページ分しか描けていない1年
1. 構想が一人歩きして現実化しない
2. 感情で作って構成が雑になる
3. そのまんま感、説明的な作品になる
これらの特性から私の作品は永遠に未完成のままです。
自分のできない要素を抽象化してわかっているだけでも成長なのかもしれません。また、できないなりの応急処置(納得のいかない作品にしたり、感情もなく淡々とした作品を作ったり、わざと回りくどく伝える)をするのも納得がいかないです。
私は現状、これらを鬱のせいだと片付けています。開放的な気持ちで頭が柔らかくなれば、上記の未完成な箇所を直せると勝手に思っています。
今年を振り返って私の1年はマンガで言うバトルシーンの1ページを描いていたような感覚です。それくらい数多くの書籍の中の1冊の多数のページがある中の数コマ分しか過ごせなかったと反省しています。ただ、負の感情に負けないように踏ん張っていただけ。劣勢ながら防御を固めていただけだったのです。
作品が未完成のまま終わってしまう歯切れの悪さが気持ち悪く、自分が何者かもわからず、ただ不安に過ぎていく1日を愛せる日はくるのでしょうか。
2025年こそマンガを飛び出して、数冊の本に跨るほどの飛躍の年にしたいです。
最後になりますが、読んでくださったあなたに感謝を申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします(o|o)