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急に「やりたいこと」が出現した話

アラフィフ(だいぶアラカンに近づいてきた)になって
やっと「自分自身と仲直り」して「自分のために」生きていけるようになってきた。
カウンセリングにずいぶんお金を遣ったし
カウンセリング代わりに占いも使った。
それは自分自身にとって大切な投資だったと今は思える。

Xで「カウンセリングの効果」について語っているコンサル的な仕事をしている人がいて、いやほんと、人生の後半で見える景色が変わったのは
とてもよかった。
高齢になってずっと辛いのは嫌だよな。

ブランドのかばんや服はまったくもってないけど
私の中に「クライアント力」があって、そのおかげで自分をカウンセリングできるし、他者に対しての理解もずいぶん深まったし、これはもはやお金では買えない。

トラウマについて、育児について、夫婦について、みんないろんなことを言う。だいたいが「このままではだめですよ」という脅しとセットになっている。そういうことも遠目から眺めることができるようになった。
だって、誰も「正解」を持ってないんだし、そもそも「うまくいってる」っていつの話よ。今現在がよかったとして、それが永遠に続くと本気で思っているとしたら、ずいぶんお花畑だと思う。
他者との関係性というものは、水が流れるように変化するものだから
変わらないのは自分だけというスタンスで、自分との関係性を見直すのがもっとも確実な気がしている。

で、そうやって、私は、自分自身の「悪」と思っていた部分と少しずつ和解している。(精神科医の斎藤先生に「あなたは妹さんたちを○したいと思ってたんでしょ」と言われて、「すげ~!!!」と思ったんだけど、いや、もう一回のカウンセリングで私の「悪魔の部分」を認めさせたあれはなんだったんだ・・・マジですごい人だ。)

いい人になれば、誰からも無視されないかな、いじめられないかな、酷い態度取られないで済むかな、でもそれができないなら、ひとりでいいかな、というぐるぐる思考に陥っていた過去の私。
それがもう「わたしはわたしの味方で生きるのだ」「わたしは自分の中に悪を持っているのだ」と確信したので、言うことは言うし、チクる時はチクるし、でもそれで嫌われてしまおうがかまわない、なんとかなるわ、と思っている。

そしたら本当になんとかなってる上に、私を好きでいてくれる人を発見できるようになってきた。普通に誠実に生きていればいいのだった。

どろどろした時はカウンセリングを利用して聞いてもらえばいい。

ただ、最近は「やりたいこと」があまり強い衝動で来なくて
鬱っぽいなあと思っていた。
アロマやったり、なんやかんや手を出してきたけれどそういう「やりたい」という気持ちも減ってきたのかな、つまんないな、とも。

それが昨日突然「これがやりたいんだ!」と私の中にやってきて
びっくりした。
それは現実化するのは難しいかも、と思われることで
資格とか勉強とか、起業だなんだとか、そいういうこともまったく関係がない。

でも考えてみたら、中学生ぐらいでちょっとそのことを考えていた気はするんだよね。「むりむりむり」って瞬間で消し去った気がする(笑)
ずっと封じ込めていた願望が表に出た瞬間だった。

そうなのよ、
自分の中のどろどろしたものをきちんと表に出してあげたら
封じ込めていた願いまで出てきたのよ~
すごくない?

願いが出てくるちょっと前に、似たような体験ができた、というのもあって。「こういう自分を出していいんだ」という許可を自分に出せた瞬間でもあった。

誰かから「あれやったらいいよ」「あなたにはこういうのが向いてるよ」と言われるけど、確かにそうかもしれないけど、心が動かなかったら動けない。向いていることとやりたいことが一致しなければそれはやっぱりどこかでうまくいかないし、モヤがかかったような状態になる。

ずっとやりたいことがわかんない状態だったんだな。

小さい時からやりたいことがはっきりしている人には伝わりにくい話かもしれないが
うちは「ブルジョア的な家族像」を好む親で、テレビで見るような「いい家庭」に憧れを抱いている親だった。
だから、子どもの願望や衝動や希望より「親が世間に見せたい家族像」を優先し、「金持ちならこうするだろう」みたいなコントロールがあった。
つまり、「親が子供のすべてをコントロールする」わけです。

私は長女だったからもろにその影響を受けたわけで
末の妹などはもう高校を辞めたりして、逆方向に突出したんだけど
私はことごとく「これやりたい」と言った瞬間に瞬殺されていたので
(中学校の宿題で童話を創作したら、上から目線でけなしてきて、マジで子どものやる気を一発でそぎ落とす名人だった、まだ無関心でいてくれたらよかったのにと思う)
願望とか希望とかは心の奥深くに大事にしまう他なかった。

最終的には「思い通りにならないあなたなんていらない」という態度。
そうされてまで、頑張れる子どもっています?
それまで親の機嫌を取り続けていて、ですよ。

なので自分が「やりたいこと」なのか「やらされたいこと」なのかが
自分に聞いてもわからない状態。
そこを掘り出すのに何十年かかったのか。

たどり着いてよかったです。
離婚してよかったです。
親と離れてよかったです。

どうしたら自分が笑顔になれるのか、それだけを突き詰めてきたから。

これからは、楽しい時間を自分で増やしていく。

表立った虐待はないのに、生きづらい。
そういう人にこれを読んでほしい。
「子どもの人生、親が決めるものだ」と疑問を持たない親に育てられると
けっこうしんどいよ。
どれだけ「物」を所有したって幸せに感じられない状態になる。

あきらめないで。自分を生きることをあきらめないで。
自分の情熱にたどり着くことはできる、かもしれないから。

誰かを喜ばせるために生まれたんじゃない。
自分を喜ばせるために生まれたんだ。
わたしたちは。

隣にどんなに弱い人がいたとしても
その人に必要とされても
弱い人は弱い人なりに自分で自分を満たす必要があって
わたしたちはその駒にならなくていいんだよ。

自分自身を輝かせることが先。

そしたら、無邪気な自分に出会える。

情熱を取り戻せる。

そしてその輝きが本当の意味で「人を救える」ようになる。

それを信じて。


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