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vol.6 どこにでもいるような大学生の思う『勉強』の定義

こんにちは、じゃずです🐲

本日見てくださりありがとうございます。
今日は少し、自分にとっての勉強の定義づけについて語ります。というのも、つい最近の一昨日までフランス語検定の勉強をしていたんですよね。それがやっと落ち着いていま一休みしているところです、、、

早速本題なのですが、『勉強』について僕は2種類あると思っています。“必要と感じてする勉強”と、“させられる勉強”の2つです。
まあ、考えればあたり前のことなんですけど😅
でも、この2つをしっかり見極めないといけないと思うんです。

まずひとつめ、“必要と感じてする勉強”です。これは、自分の成長のため、自分という存在を確立させていくための勉強と言い換えられると思います。趣味であったり特技、興味の延長にあるものだと思っています。つまり、人生の効用を上げるための学びとも言えるかもしれないです。これには、終わりがありません。自分が知りたいと思えば、この世の理・森羅万象の全てを知れるまで突き詰められるものだからです。言ってしまえば、自分次第で無限に勉強することはできます。でも、どこから勉強するのか?どこまで勉強するのか?も自分に委ねられているんです。ここに対してしっかり自分の中で軸を持っていないと、無意味な勉強になってしまいます。その道のプロになる人は、ここがしっかり自分の中で確立されているんだろうなって思います。「自分は、この分野において誰よりも詳しくなるんだ」みたいに。

ふたつめ、“させられる勉強”です。これは、義務教育とか学校・習い事とかがそうです。これは、人間であれば誰しも経験する勉強ですよね。だって、人間は1人では生きられませんし、誰かに教えられないと何も始まらないので(自分で学ぶ場合もありますが)。自分は、“させられる勉強”に対して排斥するつもりはありません。が、自分のやりたい勉強が疎かになる程“させられる勉強”を課すことには疑問を抱きます。

ここまで2つの『勉強』に対する自分の考えについて語ってきましたが、自分が重要だ思うのはその比重です。結論からいうと、どちらも必要です。人の営み、人生全てが勉強(学び)の上にあるようなものですからね。毎日新しい日がやってきて、過去とは違う学びを得ているわけですから。

でもそう考えると、“させられる勉強”よりも、“必要と感じてする勉強”に重きをおくべきだと思ってしまいます。どうせ新しい1日がやってくるなら、自分の興味のないことを学んで過ごすより自分が楽しめるようなことを学んで過ごしたいと思いませんか?少なくとも自分はそう思います。

大学受験なんかも、疑問視するところがあります。今の時代、たくさんの学校があります。美容専門・看護専門・医学専門・法学専門・服飾専門・カメラ専門など、あげればキリがないです。でも、高校時代を思い返してみてください。“させられる勉強”を、日々課され続けられることで、どこか「良い大学に進学する」ことが目標になってきているのではないか。自分には他に輝けるプラットフォームがあるかもしれないのに「大学受験」という範疇に囚われた勉強をされられることでその存在にすら気づかない人が大勢いるのではないか?そう思うんです。自分も、美術大学に通えばよかったかもしれないと思ったことは一度や二度じゃありません。だから、冒頭にも言ったようにもっと自分のやりたいこと・人生の効用を上げられることを見つける時間を大切にしてほしいです。学生時代なんかはたくさん学んで吸収するべきなので特に必要だと思います。だから学校は、《勉強させることよりも自分がやりたい勉強させてあげる》スタンスをもっと取るべきかと思います。まあ、こんな普通の大学生が何を思ったところで何も変わりませんが。

ここまで長々読んでくださり、ありがとうございます🙇‍♂️
あくまでまだ社会を知らない一大学生の意見なので、共感してくれる人もいるかもしれないし、いないかもしれません。でも、自分の思っていることを今日も呟かせてもらいました。
次は何について話そうかなあ。。。

そろそろ自分の好きな写真を紹介する回も作りたいです。
というか、作るのでお待ちくださいっ。

ではまたっ👋

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