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NYではストリートホームレスの数が2倍に急増している

デブラシオ市長が言うには、この2、3ヶ月でストリートに居を構えるホームレスの人々の数が急増し、今や以前の2倍にまでなってしまっているそうだ。。

実際に、従来ならば普通の学生街の居住区であるはずの私のアパートのビルの前のストリートも、現在とんでもないことになってしまっている。ストリートを挟んだ向かいが居住アパートではなく高校なため、ある種の無法地帯になってしまっているのだ。マンハッタンの学校は、日本のように門をくぐるとグラウンドがあって、その奥に校舎があるような作りにはなっていないので、門というのは、学校の建物の入り口そのものになる。その正門のゲートに上がっていく何段かのステップや、両脇にある広い壁面スペースの前には常々3、4人以上のホームレスの人たちが布団を置いていて寝ているだけでなく、同じストリートの交差点の角の飲食店がクローズになって全面板張り状態になっているところの前のサイドウオークでは、どう見ても拾ってきたものも含まれているように思える洋服や小物や椅子などをいっぱいに敷き詰めるように並べて、違法と思われるフリーマーケットを展開している人たちまで出てきてしまっている。(この人たちは、同時にサイドウオークのこの部分を家にして暮らし始めてもいるようだ。。)

ニュースによれば、そういったことは、ミッドタウンの繁華街や他の住宅街でも起こっているらしい。

考えてみれば、感染爆発後の5月初旬にクオモ州知事の提案で、通常24時間走っている地下鉄の運行を夜中の数時間止めることによって、連日その時間帯には大掛かりな清掃と除菌作業を行うことになり、その間、地下鉄内で寝ていたホームレスの人たち一人一人と警察や地下鉄職員が話をして説得し、書類にサインしてもらってストリートではなく、シェルターに行って寝てもらうということを行った時、街には寝ているホームレスの人を見かけなくなり、ロックダウンで人もあまり外に出ていない状態だったせいもあり、鳥の声さえも聞こえるようになった街中は、ある意味でかなりスッキリした状況だった。

その時の状況はこちらのnoteにも書いています。

そして、道に寝るホームレスの人々が街から消えて、ある意味平和的な光景をマンハッタンの街は取り戻しつつあり、地下鉄を綺麗にしたと同時にクオモ氏もSocial Distanceだけでなく、マスクを強く推奨する動きを続行したため、感染率や死亡率もなんとか下降傾向を辿りつつあった矢先に起こったのが、ジョージフロイド氏のヴィデオ拡散と、それによって起こった人種差別問題に火蓋を切った巨大プロテストだった。

プロテストが街中でエスカレートしたと同時に、他の州からプロテストのどさくさの略奪目的でやってくる人たちまで出てきてしまい、高級店ばかりでなく、多くの店のガラスは割られ、店のものは盗まれ、警察の車は焼かれ、連日あちこちで暴動が起こる騒ぎとなり、街は混乱を極めてしまい、当然のことだけれども、その後、街の治安は急激に悪化した。

そして、夏になって第4フェーズに入り、何とかオープンレストランも始まったせいで、街は少しだけ明るさを取り戻し、最初の一歩の経済の立て直しの可能性を探せつつある状況になったのとは裏腹に、同時に街のストリートには果てしない数のホームレスの人たちが住み着くようになり、黒人ヒスパニックエリアでは、今でも連日どこかしらで発砲事件が起こっているといった日常までも引き寄せてしまう状態になってしまった。

今日もオープンレストランの柵が並んでいるストリートで、一人のホームレス風の黒人男性が、飲食中のカップルに何か食べ物を分けてもらおうとしていたのか、柵の外からしつこく何かを話しかけている光景を少し離れたところから見かけた。話しかけられて拒否することもできず、困惑を隠せない様子だったそのカップルは、恐らくその状況では、とても落ち着いて食事もできなかっただろう。

オープンレストランで一見すると以前よりは賑わって見える街中には、このように両極端な状況が同時に展開している。

そして、一昨日のハリケーンで発生した停電は、電気の大元の回線が前例のない壊れ方をしたらしく、復興の見込みがないまま、まだ電気が止まったままのエリアが何万軒かあったりもする。。

しかも、基本的にはパンデミックは終わった訳ではない。

こんな風にエンドレスに色々なことが続く中で、今後、この状態の街がどのように回復できるのか、今の段階では答えはとても割り出せないけれども、せめて11月の大統領選までの間に、少しだけでも誰にとっても心休まることの出来る時間がこの街に訪れることを、今は心の奥で切に願うしかない。

内容と直接は関係ないかもだけど、今日は独断と偏見でRadio Headの名曲を送ります。








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