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HSPの私がNYに住むワケ 2

これと同じタイトルの記事を約2年前にアップしたんだけど、ちょっと思うところがあったので、続編を書いてみます。

海外在住の日本人はHSS傾向

NYや海外には、はっきり言ってHSP(Highly Sensitive Person・日本では、今は”繊細さん”とも呼ばれている)傾向の日本人の人の割合って言うのは、そんなには多くないような気がしている。

私が感じる限りでは、どちらかと言うと、ほとんどの人がHSS(High Sensation Seeking)傾向だろう。その意味では、長期の海外在住者は、もともと線が細いというタイプの人はそれほどは多くはない印象だ。

そして、それは欧米人にも言える。

彼らの多くは、もともと狩猟民族出身のせいか、野生の勘みたいなのはあっても、神経質で前に出れなくて引きこもってしまうみたいなメンタルはあまり持ち合わせていない。

欧米では「Shy」に対する受け皿はない

だから、デイベートや論破も”大得意”で、何かにつけて言葉で戦うのを臆さない場合が多いし、そのために人前で自己主張するのも厭わない。

そして、アメリカの子供達の教育カリキュラムには「Show and Tell」なんて言う、”自分のことをみんなに積極的に知ってもらおう!”って言うHSP的には半ば”公開処刑”にも思えるような授業すら普通にあったりもする。

そんな中でHSPとして生きていると言うのは、はっきりいって多少異例な話ではある。ここではみんなが「Shy」であるってことに対して温かく受け止める受け皿もそんなにはないからだ。

人権に対するリスペクトがあるからこそ「自由」に振る舞える欧米人

でも、でも、でも、私にとっては何が大事かって言うと、人々が”人権”に対する認識をちゃんと持って生活しているってことなんだよね。

だから、多くの人々が、個人の発言や尊厳に対するリスペクトはそれなりには持ち合わせているので、賛成反対に関わらず、違う考えの相手も尊重するってことがどう言うことなのか、本能的に理解している人も決して少なくはない。

そして、それ故に、多少変わりものや、みんなの中に馴染めないみたいな人がいたとしても、みんな日本ほどは気にはしてはいない

つまり、そこで他人をあからさまにジャッジしたりみたいなことは、よほどモラルに反する時を除いては、ほとんどしない場合が多い

それは、色々な人種が混じり合って生活しているせいも一つにはあるだろう。
例えば、ここでは、多人種との違いをいちいち引き合いに出して文句を言っていたら、普通に生きてはいけないからだ。

その意味では、みんな心の中では何がしかの違いは感じていたとしても、そんなもんかもしれないね、と冷静に諦める知恵は持ち合わせている。

中二病がトリガーになり海外に目を向け始めた思春期

私は、どちらかと言うと保守的で厳格な、過干渉で毒親傾向の家庭で育った。

そして、家庭内には、私を助けてくれる兄弟姉妹や親族もいなかったので、上からの過剰なコントロールや干渉と言うものとは、いつも自分一人で戦わなければいけなかった。

そんな中で、一人で何かを創造したり、サブカルやら洋楽洋画にハマったりして、見事な厨二病の思春期を送ったりしていたのだけれども、いつからか、この世界にはもっと違った場所や環境があるのではないかと思うようになった。

その意味では、海外に目を向けることになったのは、ごく自然な流れだと思う。

とは言え、もともとの日本の過干渉でコントロール過剰な家庭環境で培った部分もあったかもしれないHSP的な要素と言うのは、そんなに簡単にはなくならなかったので、ここに来てからも、最初は結構苦労の連続ではあった。

HSPの苦労の連続から書くことができた2冊目の本

でも、それは、同調圧力と戦うと言う抑圧的な苦労ではなく、もともと神経質な私が、知らない世界に飛び込んで行って、何もかも自分一人でゼロから体験して学んで行かなければいけないって言う苦労だ。

だからそこで、チキン過ぎた私は、自分の視野や視界を広げて拡張していくと言うことの重要性を沢山学んだ。

特に、私の最初の渡米当時は、今みたいにネットでなんでも即時に調べられるような整った体制ではなかったから、なおのこと自分の勘と勇気と経験だけが頼りだった。

だから、とんでもない失敗も数多く経験した。

そして、HSP故に、いろんなトラウマも抱えることになったし、その解消にも沢山の時間も経験も必要とした。しかも、今もまだ完全にはトラウマから抜けてはいないところも正直言ってなくはなかったりする。

でも、そんな中で体験した色々と大変なことが沢山あったからこそ、
私はHSPの感受性だけを頼りにこの一冊を書いた。

はっきり言って、この書籍は長い。
ページ数で言うと、おそらく紙の書籍ぐらいはある。

でも、だからこそ、自分でこう言うこと言うのはHSP的には本当に嫌だし抵抗あるんだけど、そこには”渾身の想い”みたいなのは本気で入っていると思っている。

だから、長過ぎてみんながすぐに投げ出したくなったり、ちゃんと読んでくれないだろうなって言うのは容易く想像できるけど、たった一人でも本気で理解しようとしてくれる人がいるならば、その人のために私はこれからも本を書き続けたいって今も本気で思ってるよ。















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