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NYのダウンタウンで見つけた愛
私が彼について知っていることは、それほど多くはない。
彼は濃い茶色の髪と、くっきりした大きな二重の瞳を持つ、ハッキリした整った顔立ちのジューイッシュだった。一見おどけているようにも、ちょっとワイルドにも見えるけど、実のところ、ものすごく正義感に溢れていて、この街の平和のみならず、常日頃から、自身のルーツであるイスラエルの心ない政治情勢にも本気で心を痛めていた。
恐らく自分たちの民族であるユダヤ人の歴史を学ぶ上で、人生の不条理を沢山知ったに違いない。残念ながら、世の中にいる全ての人が、必ずしもいい人たち、善意の人たちとは限らない。
でも、彼らだって最初っからそうじゃなかったかもしれない。
その可能性は十分にある。
人生の途中で、何かがどっかで狂ってしまった。ボタンの掛け違えが起こるような出来事に遭遇したからこそ、いろんな大切なものを見失った可能性もある。
そんな国の情勢や、様々な人間の姿を見ながら生きて来たかもしれない繊細な彼は、きっと最後に私たちを助けるのは愛だってこと、それしかないっていうことを、あるとき誰よりも強く感じ始めたのかもしれない。
だから、自分が本当にやりたかったこと、今までの自分の人生で、もしかしたらダメかもと先送りにしてきたメッセージを、路上にチョークで描くことを通じてみんなに送り始めることにしたんだと思う。
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もともとはとてもアートが好きで、絵を描くこと、何かを描くことで自分を表現できたら、何者でもないかもしれなかった自分でも何かができるかもしれない。
そう思った彼は、ある日、晴れている日はできる限り路上に立って愛を表現しようと決心してチョークを握った。
とりあえず、地元のマンハッタンのダウンタウンから愛を伝えようと。
それが何かになるのか、ならないのか、そんな事は関係ない。
とにかくやってみる。伝えてみることからしか始まらない。
最初は誰にも気付いてもらえないかもしれない。
みんなに踏まれて消されてしまうかもしれない。
でも、例え一人だっていい。
誰かがふと道に立ち止まり、そこにある愛の存在に気がついてくれたら、それがすべての始まりだ。
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最初は彼も、周りからは奇妙に思われたかもしれない。
だって、彼はアーテイストだから、服装ももちろん普通のビジネスマンみたいにキレイでちゃんとしてるわけじゃないし、どちらかというと個性的で、自分のセンスだけを頼りに汚れてもいい衣服を掴み取って毎日外に出ていたはずだから。
とにかく彼は毎日路上や街中に立って、みんなのために愛を描き続けた。
そして、毎日チョークでハートを描き続けることで、この街のみんなの心に温かいエネルギーを送り続けていることを、そのうちに段々と多くの人たちが気づき始めた。
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「あれ?これ昨日も見たよね?チョークで描かれてるハート、一体何だろう?」
「ここにもいっぱいあるよ。なんだかうれしいね。」そうやって街の人々の好奇心はだんだんと広がっていった。
そうして、彼が数年前に突然思い立って始めた自分が慣れ親しんだこの街のダウンタウンから愛を伝えていく、という目論みは、だんだんと効果を著し始めた。
それから先は、見る見るうちに彼の描くチョークのハートは街に住む人たち、ダウンタウンを歩く人たちの間に知られるようになっていった。
そうして今年の冬、ロックダウンがゆるみ始めた頃、彼はダウンタウンで初めての個展を行うことになる。
それこそ、愛がいっぱいつまった展覧会だ。
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用事でオープニングには行けなかったものの、私は最終日までに何とか展示に駆けつけることができた。
そして、もしかして彼はそこにいるのかな?とも思ったけれど、案の定、その日は彼は画廊に来る予定ではなかったようだ。
寂しいようななんだか少しホッとしたような複雑な気持ちになった。
なぜなら、彼が突発的に街中に描くハートのプレゼントは、私には足長おじさんからのギフトのようにもずっと思えていたから。
だから、本物の姿を見たら、本物に会ったら、それが足長おじさんからのプレゼントではなくなってしまうかもしれない、そんな勝手な思い入れもあった。
でも、この時に無理やりでも会っておけばよかったと、今になって悔やまれる。
彼の訃報が、昨日突然インスタグラムにアップされていた。
一瞬目を疑った。
だって、初めての個展にたどり着けたところで、オープニングは大反響で、彼の人生、やりたかった事っていままさに、これから始まろうっていう時だったんだよね?
何が起こったのかはわからない。
もともとの彼のアカウントから誰かにアップされていた訃報には、詳細は書かれておらず、ただ、彼が亡くなったことだけがひっそりと伝えられていた。
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ここ数日、曇りが続いたマンハッタンの天気が久しぶりに晴れた。
もし今、彼が生きていたら、喜んで街角のドローイングに出かけていったに違いない。
そして、私の心の中には、まだ、起こったことが受け入れられないショックと、大きなロスが渦巻いている。
でも、確実に分かっているのは、あの日、彼の描いたチョークのハートに私が最初に出会ったのは、まだ街がロックダウンされていた時だった。
その時期、基本的にはステイホームを要請されていた私たちは、かろうじて、公園での散歩や軽い運動は許されていた。
そして、先が見えない落ち込んだ気分を少しでもなんとかしたいと思い切って近所の公園に出かけていった時、私は彼のハートに出会った。
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公園の地面には、敷地を埋めるような沢山のハートたちが、色々な色のチョークで大きく力強く描かれていた。
私はそれを見た時、なんだか本当に救われた思いになった。
温かい。
そこにはただ愛があった。とても大きな愛が。
私はただ、その愛の中にたたずみ続けていた。
その後も何回か街を歩いていて、彼のハートに遭遇することがあった。
それ以降、私は街を歩く時に、あたかも彼の存在を追い求めるかのように、地面に描かれたハートを探すようになった。
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それを見るたびに、彼が生きていること、そしてそこには愛が存在しているということを確認でき、パンデミックや暴動で街が無茶苦茶になっていたとしても、ホッとすることができた。
そういう存在がこの街にいてくれること、そういう表現者がみんなと一緒にこの場所で戦ってくれていることが、愛そのものだった。
だから、私はこの街にいた彼のことは絶対に忘れない。
晴れの日には、この街のどこかで彼の描くハートの温かさに私たちはもう一度絶対に出会えるはずだと信じ続けたい。
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ありがとう。New York Romantic.
Rest in Peace with Love.
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