学生街のカフェ探し in NY
私はカフェが好きだ。そして、学生街も。
だから、私の中では学生街とカフェはもはや切っても切り離せない文化だとさえ言える。
そもそも基本的に学生街にはカフェが多い。
そして、それらは単純にオシャレな場所でくつろげて、おいしいコーヒーやスイーツを楽しめる、という”休憩”や”リラックス目的”のためだけの場所ではなく、やはり、学生たちが授業の前後に勉強したり、課題をやったりする場所になっていたりもする。
そんなわけで、時間帯を上手く選ばなければ、学生街のカフェというのは異常に混み合ったりもすることも多い。(私はここで滑って、カフェ難民をやって午前中の時間を潰してしまったことも何回かあるぐらいだ・・)
コロナによるロックダウンで、NYでは、多くのカフェやレストランがアウトドアテーブルのセッテイングをするようになった。
そして、今となっては、夏だけではなく、冬になってもそれが設置されたままだったりもする。
私はこのアウトドアテーブルでの執筆が好きだ。
もちろん、日本のような湿度が高い場所では、湿気が超がつくぐらいに苦手で、エアコンがないと生きていけない私には、こういった試みもむづかしいのだけれども、北米の日本よりはドライな夏の気候は、湿度の低い日に外で何かするのにはとても適していると思う。
とはいえ、周辺があまりにも混み合っているような場所や、治安が微妙なエリアでは、アウトドアカフェも執筆用には使いづらいけれど、普通の学生街で、適度に人が歩いていたりするのは、その場所の雰囲気が感じられて心地よいと感じる部分も多い。
しかも、幸いにも私はバイリンガルではないので、多少周りの人が言っていることが聞こえてきたとしても、頭を英語使用に無理やりスイッチしなければ、日本語のように、放っておいても会話の内容が常に100%自動的に頭に入って来て気になって仕方がない、と言ったこともない。
その辺りは、隣の席との間に一定の距離があれば、本気で気を取られないように、ある程度は調整できるのが、英語が完璧ではないがゆえのいいところだ。(果たしてそれは自慢になるのかって言う話ではあるけど。笑)
そんなわけで、季節がまだ寒くはなく、執筆を日々の課題にしている状況下においては、いい按配に物書きに集中できそうなカフェや座席がうまく探せるかどうか、と言うのは、その日1日の流れを決めてしまうぐらいに重要だったりする。
夏の間は、私は芝生が広がる小さな公園に行き、裸足でアーシングをしながら執筆すると言う方法を可能な限り試みていた。
それは、地面に足を付けて自然と一体化することで、大地のエネルギーが裸足の足の裏から入ってくるような感覚が何となく好きなのと、それによって精神的にも癒されて、余計な感情を削ぎ落としながら言葉選びに集中して、本来の自分を素直に出しながら執筆できるような感じがするからだ。
特に日常的にカオスがそこここに存在しているような雑多な街NYでは、自然との対話はたとえ1日の中の短い時間でもものすごく重要だ。
そして、このやり方で原稿を書く事は、やはり上手く行けば、一番ゾーンに入りやすい。それは、毎夏心底から実感している。
とはいえ、マンハッタンはそもそもが、人も車も一杯いる場所なので、それこそセントラルパークにでも行かない限り、小さな街の公園の芝生のエリアが必ず毎日空いているとは限らない。そうなると、やはり、カフェをうまく抑えられるかどうかが、その日の執筆状況を左右するとても重要なポイントになる。
パソコンで物を書く作業は、基本的には孤独だ。だからこそ、環境という力添えが必要になることは少なくない。その意味では、美味しいお茶やコーヒーやデザートが横にあって、知らない人たちが適度な距離感で周りに居合わせるぐらいの環境で1人で何かをすることは、極端に孤独になる状況を救ってくれたりもする。
同じように大衆の中の孤独を楽しんでいる人たちが身近にいることは、目に見えない支えにもなっていたりする。
そして、時として、カフェの隣に座っている人に話しかけられたり、フレンドリーに寄ってきた犬の頭を撫でて優しい気持ちになったりするのも、とても贅沢な息抜きになる。
私は学生街のカフェで味わうそう言った時間が好きだ。
そして、カフェ探しにあたって私が頻繁に利用しているのは、自分の足と自転車だ。
NYの自転車生活についての話は、また次回のnoteで書きたいと思う。