大工町寺町米町仏町 田園に死す (1974) ATG
寺山修司 原作・脚本・監督
このイカしてるポスター画は
雑誌「ガロ」出身の イラストレーター・花輪和一さん。
ちびまるこちゃんの 花輪君は
この方から頂いたお名前なんですね。
こういう前衛的な映画は
ほんとは苦手なのですけど
この映画は 何度も観返しているほど 好きなんですよ。
〇
青森県の下北半島 恐山のふもとの寒村。
父に早く死なれた「私」は
母とふたりきりで暮らしている。
我が子をあくまでも 自分の中に
閉じ込めようとする 重すぎる母の愛情。
そんな母親から 逃げ出したいと思い続ける
「私」の鬱屈した日々。
あるとき「私」は 腕時計が欲しいと母にねだる。
「駄目だよ、
時間はこうやって 大きい時計に入れて
家の柱に掛けておくのが一番なんだよ。
それを腕時計になんかに入れて
外に持ち出そうなんて とんでもない考えだ」
「それに私たちは 親子たった二人きりなのに
その二人が別々の時計を 持つことになったらどうするの」
隣りの家に嫁に来た女が 「私」の憧れの人だ。
隣りは地主で 姑がすべてを支配しており
女の夫は 押し花蒐集狂の ひ弱な中年男だった。
ある日、村にサーカス団がやって来た。
サーカスというより 見世物小屋みたいだ。
人気者の空気女は
遠い町のことを「私」に話して聞かせ
「私」はますます この村を出たいと思うようになった。
この話を 隣りの嫁・化鳥に聞かせると
化鳥は一緒に駆け落ちしましょうと言った。
駅で待ち合わせ 線路を歩くふたり・・・
ここで突然、かちゃかちゃっと フィルムが切れる。
実はここまでは
映画監督となった二十数年後の「現在の私」が制作した
自伝映画の一部であった。
この後「現在の私」の前に 「少年時代の私」が現れ
この映画は 過去を美化した作り物だと言って
真実を語り始める。
村に住む人々は みな狂気じみており
サーカス団も 実は変質者の集まりで
駆け落ち相手の 隣りの嫁・化鳥からは
あんたなんか初めから 相手にしていなかったと告げられ
待ち合わせ場所で 待っていた愛人と
目の前で心中されてしまう。
「私は焼け跡の女巡礼 後ろ指の夜逃げ女 泥まみれの淫売です。
母さん、どうかもう一度 私を妊娠してください。
私はもう やり直しが出来ないのです」
この台詞を語る八千草薫さんの
表情、声、イントネーションが とっても素敵。
そして「少年時代の私」は
本心では 母親を殺したいとまで思っていたこと・・
これはまさしく 寺山修司さんと
母・寺山ハツさんとの関係であると言われています。
夫に早く死なれ
幼い修司さんを育てるため 米軍基地で働きながらも
修司さんを溺愛し 強く束縛していた母・ハツさんです。
若き日の「私」や 過去の登場人物は
白塗りの顔で現れます。
そして怖がりの私には ちょっとコワイ映像もありましたが
このアバンギャルトの世界に 吞まれているうちに
いつしか怖さは 芸術性に圧倒されてしまいます。
〇 劇中詠まれる 十篇以上もの短歌
大工町寺町米町仏町 老母買う町あらずや、つばめよ
吸いさしの煙草で北を指すときの 北暗ければ望郷ならず
売りにゆく柱時計がふいになる 横抱きにして枯野ゆくとき
ラストシーンは
「二十年前の母」と「現在の私」が
暗い家の中で 食事をする場面。
ばたん、と 壁が外側に倒れると
そこは 人や車が行き交う 新宿の一角である。
ラストも名場面だと思います。
どっからこんな 発想が湧いてくるのでしょう。
寺山修司さんの 眩暈がするほどの感性・才能。
観るっきゃ、ない。
おしまい