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ここに泉あり (1955) 松竹 

今井正監督

心の底から 感動する映画です。
 
物語は戦後まもなく 
数人の高崎市民が立ち上げた 市民オーケストラが
困難を乗り越え のちに群馬交響楽団に
成長していくお話です。
 
          〇
 
国民の心が すさみきっていた終戦直後。
 
群馬県高崎市に生まれた市民フィルハーモニーは
働く人々や子供たちに音楽の感動を与えたいと
奮闘していたが
 
マネージャーの井田(小林桂樹)の 努力にもかかわらず
楽団員の生活もなりたたない有様。
 
楽器を質に入れたり チンドン屋のアルバイトをしたり
それでも 生活苦から脱退する者が 後を絶たない。
 
そんな中でも恋は生まれた。
楽団で唯一の女性 
ピアニストの 佐川かの子(岸恵子)と
ヴァイオリニストの 速水(岡田英次)は結婚する。
 
しかし、楽器を担ぎ 汽車を乗り継ぎ
はるばる山間の小学校に演奏に行くが
 
音楽には まったく耳を傾けず
走り回る子供たちや
おしゃべりに夢中な 近隣の年寄りたち。
 
楽団員たちは重い足取りで 帰りかけるが
校門の陰で待っていた 一人の女の子が
恥かしそうに 一束の野の花を差し出す。
 
「嗚呼、来て良かった。
あんな子が一人でもいてくれるなら どんなに遠くでも行くよ」
 
それだけで ただ、それだけで
楽団員たちの心は満たされ
「美しき青きドナウ」をハミングしながら 帰って行く。
 
そして時には 雨に、風に打たれ
また炎天下の暑さに 苦しみながら演奏旅行を続ける。
 
途中、鉱山で働く人たちに「草津節」のサービス演奏。
生れてはじめて聴くナマ演奏に
顔をくしゃくしゃにして喜ぶ人々。
 
それから ハンセン氏療養所への慰問。
演奏される「トロイメライ」「金髪のジェニー」・・・に
 
「永劫に救われることのない 世界にいる私たちが
 今日こそ感じた 生きている喜び・・
 これは 一生、消えることはありません」
 
患者の代表者が述べる 感謝の言葉に
心打たれる団員たち。
 
数か月後、楽団はツテを頼り 東京から
山田耕筰指揮の交響楽団を招いて 合同演奏会を開く。
 
作曲家の山田耕筰さん、ピアニストの室井摩耶子さん
ご本人たちが登場。
 
ここでは 室井摩耶子さんが
「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲一番」を
たっぷりと、聴かせてくれます。
 
けれど現実に戻れは 相変わらずの経営難。
遂に楽団は解散と決まり
最後の仕事として 利根の山奥の小学校を訪問するが
この学校の子供たちが 素晴らしい。
 
「フィガロの結婚」、「カルメン」・・・
しんと、声ひとつ無く 聴き入る子供たち。
 
そのお返しに
万感の思いを込めて挨拶する 団員代表の井田。
 
「私たちは はるばる山を越えてやって来ましたが
 今日ほどみなさん 素朴な美しい心に触れることは
 もうこれから無いのではと 思うほど嬉しさでいっぱいです」
 
心からの満足を得て 
山を下りる団員たちの後ろから 子供たちの声が届く。
 
さようなら、さようなら、さようなら・・・
そして「赤とんぼ」の合唱。
 
このときの 子供たちの声が
団員たちの背中を 強く強く押してくれた。
 
二年後
あれから団員たちは 生活苦と闘いながらも
メンバーを増やし 楽団として成長していたが
 
そんなところへ
今度は 山田耕筰さんからの呼びかけで
再びの合同演奏会。
 
圧巻のラストシーン。
 
ベートーヴェンの第九が 演奏される中
経済的な理由から脱退した かつての団員たちが
苦難の道のりを振り返る。
 
そしてこれからも これからも
彼らの活動はつづくのだ。
 
          〇
 
資金面でも大変厳しい状況で 
制作された 作品だそうですが
群馬市民の 積極的な協力により完成。
 
全国での上映により 
300万人を動員する大ヒットとなり
日本中に 感動と共に 
群響と、音楽の街・高崎の認知を広げました。
 
キネマ旬報ベストテン・5位
毎日コンクール・助演男優賞(小林桂樹)
ブルー・リボン・助演男優賞(加東大介)
 
「ラデッキー行進曲」「美しき青きドナウ」「ロマンス」・・・
ずらり、名曲も楽しめます。

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