生きるってなに? 女と男のいる舗道(1962)仏
ジャン・リュック・ゴダール監督
主演は当時 監督の妻で
前期のゴダール作品の多くに出演している
アンナ・カリーナ。
アンナ・カリーナ扮する ナナという
離婚歴があり 貧しいけれど ごく普通の22歳の女性が
やがて街角に立つ娼婦に転落。
そして悲劇的な最期を迎える というストーリーが
12の章に分けて構成されている。
ゴダール監督にしては 筋書きが分かりやすく
そして センチメンタルな映画だな, と思う。
あらすじは ざっくり。
いつもの如く ネタばれご免です。
〇
冒頭、カフェで ナナが別れた夫と会い
近況を話し合っている。
ここでナナが
舞台女優になるという 自分の夢を叶えるため
幼い娘を置いて 夫の元を出てきたこと
しかし今はその夢も遠ざかり 希望も無いまま
レコード店で働いているが
アパートの家賃も払えない 苦しい状況であることが判る。
アパートの家主は
家賃を滞納している ナナの部屋の鍵を取り上げ
ナナはもう何日も 自分の部屋に入ることも出来ない。
家主の部屋から
無理やり鍵を奪おうとするナナと 阻止する家主が
アパートの中庭で 毎日のように乱闘になる。
そんなある日、
ナナは警察に連れて行かれ 尋問を受ける。
ある婦人が落としたお札を わざと踏んで隠して
盗ろうとしたのを見つかり 訴えられたのだ。
「お金は返したのに 酷い人だと思います」
「昔の私は もういないの」
つぶやくナナ。
無一文になったナナは
あるとき舗道で 見知らぬ男に誘われ
はじめて 体を与えて代償を得た。
それから 古い女友達に出会った。
彼女は娼婦たちに客を紹介しては
ピンはねする商売の女だった。
やがて
ナナは街角に立つ 娼婦になった。
ラウールという ヒモも出来
ナナの稼ぎは彼の手に渡った。
はじめは抵抗のあった仕事にもすぐに慣れ
甘いお客には
値段を吊り上げたりも 出来るようになるが
次第に表情を 失っていくナナ。
そんなとき ある居酒屋で
玉突きをしていた青年に ナナは惹かれる。
このシーンで
ジュークボックスから流れる曲が
嗚呼、懐かしい~
昔、ラジオの映画音楽ベストテンで 盛んにかかっていた
ミシェル・ルグラン作曲の この映画のテーマ曲。
ベース・ギターが
ジンジン胸に響いたかと思うと
途中、ピタッと 止まったりする。
曲に合わせて踊るナナ。
今どきこんな服装の女の子は なかなか見られない。
ボックス・プリーツのスカート
フリルのブラウスに カーディガン。
それで 可愛く可愛く踊る。
青年を愛しはじめたナナは 娼婦をやめ
ヒモのラウールとも 別れようと決心するが
ナナの心の動きを悟ったラウールは
他の売春業者に
ナナを売り飛ばす話を進めていた。
しかしナナを 相手の業者に引き渡すその場で
今さら、金が不足だ、なんだかんだと
トラブルが起きる。
業者は銃を撃ち 銃弾はナナを直撃。
ラウールも業者も 慌てふためいて逃走し
舗道に残されたナナは 絶命した。
「私はすべてに責任があると思う 自由だから。
手を挙げるのも私の責任。右を向くのも私の責任。
不幸になるのも私の責任」
〇
女にはもてないが 女を描くのは上手い
と言われたゴダール監督。
(ジャスミンが 言ったんじゃありませんよ)
そのゴダール監督が
アンナ・カリーナに出会ったのは
『勝手にしやがれ』の準備中だった。
アンナはデンマーク生まれで
17歳の頃は パリでモデルやCMに出演していた。
(アンナ・カリーナという芸名は ココ・シャネルが付けたという)
ある日、カフェでアンナを見かけたゴダール監督は
黒眼鏡の奥から じっと彼女を見つめ 一目惚れ。
『勝手にしやがれ』への 出演を依頼したが 断られ
それでも諦めきれず
カフェでの初対面から一年後、再びアンナにアタック。
『小さな兵隊』の主演を 今度は承諾させ
翌年、晴れて結婚した。
かつてゴダール監督は
「好きな映画作家を3人挙げてください」というインタビューに
「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えた。
おしまい