愛と滅びの美学! 俺たちに明日はない (1967)米
アーサー・ペン監督
1960~70年代半ばにかけて
この頃の米映画は
アメリカン・ニューシネマと呼ばれました。
当時の大手映画会社の枠を打ち破った 若手監督による
若者の反抗と暴走、そして破滅を描いた作品。
刹那的に人生を駆け抜けるヒーローに 若者たちは憧れました。
特にこの『俺たちに明日はない』は
これまで単なる悪役だった アウトローを主人公に据え
そのボニーとクライドの
最期まで愛をまっとうした姿を描き
ハリウッドの映画史を 塗り替えたとまで言われ
世界的に空前の大ヒット!
他に『イージーライダー』『卒業』『明日に向かって撃て』など
いずれも若い世代を中心にヒットしました。
〇
平凡な毎日にうんざりし 苛立っていた
ウェイトレスのボニー・パーカー (フェイ・ダナウェイ)は
ある日、自分の家の前に止めていた
母親の車を盗もうとしていた
クライド・バロウ (ウォーレン・ベイティ)に声をかけ
ふたりは一瞬で意気投合する。
クライドは刑務所から 出て来たばかりのならず者。
出逢ったばかりのボニーに いいところを見せようと
食料品店への強盗を働き ボニーは大いに刺激された。
ここからふたりは
車を盗み町から町へと 犯罪を繰り返していく。
やがてそこに 頭の鈍い
ガソリンスタンドの店員 C・W・モス(マイケル・J・ポラード)が
車の整備係として 仲間になり
更に クライドの兄 バック(ジーン・ハックマン)と
彼の妻ブランチ(エステル・パーソンズ)が加わり
5人は 強盗団「バロウズ・ギャング」を結成
立て続けに銀行強盗を重ねるが
銀行に居合わせた 貧乏人からはお金を奪わず
そのスタイルから 「恐慌時代のロビン・フッド!」と
新聞は大々的に報道し ヒーロー扱いされる。
しかしはじめは お金だけが目当てだったが
あるとき 追って来た警備員を射殺。
はじめて殺人を犯したことで 歯止めが利かなくなる。
幾度となく繰り返される テキサス警備隊との激しい銃撃戦。
ボニーと バックの妻ブランチとの 確執など織り込みながら
一行は破滅への道を ひた走る。
そして遂には
あまりにも有名な あのラストシーン。
待機していた警官たちの
無数の弾丸を受け 絶命するボニーとクライド。
特に ボニーが銃弾を浴びて
くねくねと舞うように弾ける「死のダンス」
この衝撃度は 現在でも一番と言われている。
撮影には ベイティとダナウェイの衣装の下に
ワイヤーで繋がれた爆薬を 数十個づつセットし
ダナウェイは車から落ちないよう
足首をギア・シフトに固定していた。
〇
クライド役のウォーレン・ベイテイは
当初、製作・プロデューサーとして映画化を進めていて
クライド役には
ボブ・デュランに オファーしたそうですが お断りされ
結果、自らが演じることになりましたが
この映画の成功を まったく予測していなかった
配給元のワーナー・ブラザースは
ベイティには プロデューサーとしての 最低賃金を示し
代わりに
映画興行の利益の40%を支払うという 前代未聞の条件を提示。
結果、この映画は5000万ドル以上を売り上げ
ベイティは 莫大な財産を築いた。
またファッションも注目を浴びた。
ジーンズは穿かない。
クライドの 片方だけのサングラスや
パナマハットに 3ピース・ツィード・スーツ姿の銀行襲撃。
衣装担当の セオドア・ヴァン・ランクルは
アカデミー賞にノミネートされた。
そしてそして
ジーン・ハックマン37歳にして 日本初登場。
チョイ老け。
アクターズ・スタジオで ダスティン・ホフマンと共に
演技を学んでいたが
ホフマンの芽がぐんぐん先に伸びて 多数の映画に出演する一方
鳴かず飛ばずだったハックマンに 本作のオファーが!
この演技で アカデミー助演男優賞にノミネート。
遂に脚光を浴びた。
奥さん役のエステル・パーソンズが
見事、アカデミー助演女優賞を受賞しました。
ボニー&クライドは 実在した人物である。
ほんまもんの二人。
ふたりが生きた1930年前半は
世界大恐慌、禁酒法の真っただ中
そんな時代に
飢えながら惨めに生きながらえるより
束の間でも華やかな夢を求め 太く短く燃え尽きたふたり。
ふたりの最期は 映画そのままで
テキサス・レンジャーの襲撃に ハチの巣になって死んだ。
数えきれないほどの 銀行を襲撃 13人を殺し
射殺されたとき クライド25歳、ボニーは23歳だった。
ラスベガスのカジノに 展示されている実際の車。
『俺たちに明日はない』 なんていい邦題だろう!
アーサー・ペン監督は
朝日新聞日曜版のインタビューで
この邦題がとても気に入ったと 絶賛している。
おしまい