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奇跡の人 (1962) 米

アーサー・ペン監督

幼い頃の高熱により
視力、聴力、言葉さえ失ってしまったヘレン・ケラーが
家庭教師アン・サリバンの 厳しい教えによって
人生の光を見出すまでの物語。

ジャスミン(←私よ) は15歳。
公開当時、劇場に観に行きました。
学校の推奨映画であり 感想文も提出させられましたよ。

感想文なんて そのときはただ面倒で
チェッという感じですが
後で思うと 書かされて良かったなと思う。

この映画はその時の一度と
数十年後にテレビで一度、観ただけだと思うけど
実によく覚えているだけでなく
どこか特別な想いが残ってるという感じなんです。

          〇

ヘレン (パティ・デューク) は2歳の頃
重篤な病から奇跡的に 一命を取りとめるが
その後、ベッドの中のヘレンの異変に驚愕する母親。

映画は このシーンからはじまる。
耳元で音を出しても 目の前に灯りをかざしても
いっさい、反応しないヘレン。

その後は不憫さゆえに
甘やかし放題に育てられたヘレンは
成長と共に手のつけられない 粗暴で我が儘な子供になり
家族は振り回される。

苦しんだ両親は ヘレンが7歳になった時
盲学校に家庭教師を依頼。
はるばる汽車でやって来たのが
盲学校の卒業生で 幾度かの手術でわずかな視力を取り戻した
アン・サリバン (アン・バンクロフト)だった。

ここから始まる
サリバン先生(通称・アニー)と ヘレンの凄まじい戦い。

それはもう、教育なんてものじゃなく
椅子に座る、スプーンで、フォークで食事をするといった
躾の基本から叩き込む壮絶なもの。

しかし、いくら厳しく教え込んでも
その先から両親が甘やかし 逆戻りするヘレン。

この環境から変えなくてはと
アニーはこの先にある 森の中の小屋で
ヘレンと二人きりの生活を提案する。

「ヘレンの障害は 目や耳ではありません。
 あなたたち家族が 憐れみで彼女をペットのように扱うことです。
 それは教えるより 憐れむ方が簡単だからです」

当初から その厳し過ぎる教育法や
雇い主に対して尊大な口をきく アニーを嫌い
解雇だ!と激昂する父親だが
彼を取りなしたのは母親だった。

「ヘレンは生後6か月のとき
 水を指さしてウォーターと言ったことがある。
 あの子は賢い子なのです。
 そして何よりヘレン自身が 世の中のことを知りたがっています」

結果、2週間限定の 森での生活を許され
この生活の中で 次第に落ち着いて来たヘレンは
少しづつ指文字を覚えていく。

MILK、EGG、FACE・・・
しかしそれは ヘレンにとって
単に指文字を覚えただけであり
それが何の意味を持つのかは判らない。

この壁に突き当たったまま2週間は過ぎ
家に帰った 帰宅祝いの席で
早くも我が儘放題に戻って暴れるヘレン。

「久しぶりに家に帰ったんだ、今日だけはいいじゃないか」
「今までの努力を無駄にするのですか!」

叱るアニーに 水差しの水をぶちまけるヘレン。
怒ったアニーは 井戸にヘレンを引きづって行き
無理やり水を汲ませる

この刹那、「ウォォーター!」と
声を発したヘレン。

このときヘレンは はっきりと理解する。
今まで習って来た 指文字の意味を
物にはすべて 名前があることを

興奮するヘレン。
TREE! GROUND! 
FATHER! MOTHER!

TEACHER・・・

「I Love Helen」

          〇

アン・サリバン

実際の アン・サリバン先生が
ヘレンのところに来たのは 弱冠20歳のとき。
それから50年、自身が亡くなるまでヘレンの元で
献身的な指導をしたそうです。

ヘレン・ケラー

そして ヘレン・ケラーは のちにハーバード大学を卒業
その後、法学博士など学位を得て
平和活動、福祉活動に尽力し
1968年に87歳で亡くなりました。

8歳の頃のヘレンとサリバン先生
現在も保存されている当時の井戸

1963年アカデミー賞主演女優賞 アン・バンクロフト
         助演女優賞 パティ・デューク

ヘレン・ケラーさんとパティ・デューク

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