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「自分の見え方」を大事にする人なのか、「相手に対する気持ち」を大事にする人なのか。

こんばんは、煩悩寺(ぼんのうじ)のKYOKOです。

「ほんとはお金を払いたくない」「でも、冷たい人だと思われたくない」

お通夜のお香典を包む人の有無を募っていた時に、見えてきたもの。

そこにはご家族を失った同僚への気持ちはまったく感じられない。

自分が他の人にどう見えるか、だけ。

「あの先輩にはお世話になった。お母さまが亡くなられて悲しいだろうな」

そう思うからお香典を包む。

または

「私はその同僚とは付き合いがないから、お香典は包まない」

そのくらい潔い方がすがすがしいです。

最初はイヤそうな顔をして払う気がなく、「ねえ、どうするどうする? 包む?」ずっと何人もに聞いて周ってる人がおり、社内の8割が包みだすと、慌てて渋々包む。

そこには家族を失った同僚への気持ちがまったく感じられないのです。

なにかお通夜やお葬式がある度に、そんなやり取りを間近で見たことがあり、なんだかなあと思ったことが何回もあった。

こんな人からはお香典もらっても、故人は嬉しくないだろうから、あげなくていいのな、と思いながら眺めていました。

付き合いがないなら払わない。自分が包みたいなら包む。

送別会もそうだし、バレンタインチョコもそう。

「他の人にどう見られるか」「ほとんどの人がするなら」で決めるのではなく、自分がどうしたいかで決める。

金銭的に難しくて参加できないのなら、去っていく同僚に温かい言葉をかける。それでいいと思う。

「自分の見え方」を大事にする人なのか、「相手に対する気持ち」を大事にする人なのか。

こういう時に透けてみえちゃうよね。



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